「日本の伝統」の正体 藤井青銅著より |
「しかし人は、普通はそんな「歴史」など考えません。千年前でも百年前でも、同じ「昔から」。いえ、自分が生まれていなければ、三十年前だって「昔から」です。その心理を利用した「日本の伝統」は多い。」
「「結婚した女性の苗字はどうするのか?」という問い合わせが、各地から内務省に寄せられた。内務省は困って、太政官に伺いを出した。
そこで、明治九年(1876)、太政官指令で、「他家に嫁いだ婦女は、婚前の氏」とされた。つまり、最初は「夫婦別姓」だったのだ。」
「明治31年(1898)、家父長制の「民法」ができたのは、前項で書いた。
そして、翌明治32年(1898)、高等女学校令が出された。
ここでの教育理念が「良妻賢母」だった。(中略)欧米が儒教にからめとられて、折衷案になったという感じだ。」
「この良妻賢母主義によって、女性が家事・育児に専念することで「専業主婦」が生まれる。実はこれも、外国から来た新しい考えだ。だいたい世界中どこでも(もちろん日本でも)、18世紀以前の庶民は、男も女も農作業、漁業、商業、手工業などの仕事についていた。が、19世紀にイギリスで産業革命によって工業が起こると、夫は外で働き、中流階級の妻は家で家事・子育てだけをする「専業主婦」が生まれた。(中略)
それでも戦前は、「給与所得者の夫」と「専業主婦の妻」という組み合わせは、軍人・役人・大都市のサラリーマン幹部など、一部の人々だけだ。戦後の高度経済成長期になると、サラリーマンが増え、専業主婦が多くなった。
イギリスでは1920年頃、専業主婦の割合は80%以上。
アメリカでは1950年頃、専業主婦の割合は75%以上。
日本では1975年頃が一番高く、専業主婦の割合は60%程度。」
「ちなみに、元号の本家中国は、清が倒れる時に元号をやめた。朝鮮半島、ベトナムなど、東アジア各国もやめた。いま元号を使っているのは、世界で日本だけだ。」
「自分が生まれ、あるいは育った場所とその周辺なら、人は理屈抜きで親近感を持つものだ。(中略)
ところが、もっと大きく、人工的な枠組みの国(近代国家)となると、それがぼんやりしてしまう。(中略)しかし、みんなが共通の伝統を持つとわかれば「ああ、同じ仲間なんだ」と安心する。」
「皇室の葬儀は代々、泉涌寺の僧侶を中心に仏教で行われてきたのだ。神式に改められたのは、明治元年12月25日の孝明天皇三年祭から。
神道による国家運営という明治政府は基本方針はこういうところにも及んだ。」
「もっとも「百年」を長いと見るか短いと見るかは、人それぞれでしょう。人間はせいぜい生きても百歳。ということは自分の人生以上の歴史と、その時代を生きてきたご先祖たちに思いを馳せることができるかーということ。いわば、人それぞれの「歴史への射程距離」によって、違ってくるのでしょうから。
どんなに歴史ある伝統でも、いつの時代にか、どこかで、誰かが創ったものです。」
「だが、年月を経るうちにその意義や必要性が変化し、あるいは消滅し、それとも忘れられ、いつの間にかただ「続けることそのもの」が存在理由になっている「伝統」もあります。」