「渋谷系」若杉実より |
「福富が指摘したように渋谷系とは中古レコード文化であり、それは音楽を物質として受け入れるという基本姿勢を常に持っているということである。」
「英語がわからない。ぼくもまるっきりだめだが、この致命的なことこそ渋谷系ないし日本人の幅広い嗜好性を増長させたりもしているのではないだろうか。つまり歌詞ではなくトラック(伴奏)という文脈1本で乗り切る。そのほうが、音楽を聴くという営為のなかで選択肢の幅はおのずと広がる。なにを歌っているのか、よりもどんなサウンドか、というものを興味対象にすると、歌の意味に関係なくいろんな音楽に食指を伸ばせるだろう。」
「「日本人はなんでもマネがうまいじゃない。本来のものだけでがまんしようとするんじゃなくて、ほんとうに取り入れたいという好奇心がいつもある。”この曲はヴァン・マッコイでやってやろう”とか、そういう意図の作曲ってすごく多いし」(『バァフアウト!』98年1月号/関口泰生・著)
ここから推し量るに、元ネタとなる洋楽をいかに日本の楽曲として流し込めるか、きちんと対象化したうえで作曲することこそ重要であるという考えをもっているのだとおもう。
また、見落とされがちだが、筒美の素材探しは当時、数歩先をリードしていた旬の(おもに)アメリカンポップスだ。渋谷系のように忘れ去られた遺産を”掘り起こす”という感覚とはちがう。」