「NHKニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論」より |
「メインがまずあって、メインではないところのものがサブカルチャーと捉えてしまうと、非常に狭いものになると思ったんです。メインということではなくて、「ハイカルチャー」。ハイカルチャーかローカルチャー。上位文化、下位文化。」
「ハリウッド映画に見るべきものは数多くあって、そこから学ぶべきことは、その豊かさというのは、否定しようがない。たとえばアメリカ映画が、日本で戦後よく見られた。それはイタリアでもドイツでも起こったと思うんです。フランスでも起こった。アメリカ的なるものがそれぞれの国に入っていって、その国の価値観を大きく変えてしまう。これはアメリカの文化政策でもあったわけです。」
「大局的に日本の文化構造を見ていくと、明治以降に海外から輸入した文化が、ま、ぶっちゃけ、ほとんです。海外の文化の上に日本的なものが乗っかるという、それがどうしたって海外に持っていっても、やはり陳腐なものにしかならないようなことになる。」
「能動的なある力を持って、上位文化の権威をなくそうとするのがサブカルチャーであり、カウンターカルチャーだと思うんですよ。「上位文化が権威的である」ことが無化していくプロセスが起きるわけです。69年代末から70年前後にかけて起きた、学生運動や政治運動は激しく高揚した。それに併走するように連動した文化の変革運動、それは一面に置いて、きわめてはっきりした文化の異議申し立て、つまり「サブカルチャー」だったと考えられるであろうと。
しかし、90年代に出現した「サブカル」。これはいったい何だったのか。「上位文化/下位文化」という定義からはかけ離れているように思える。これは、90年代に至るまでに社会全体に大きな変化があったことの証明です。その直前、80年代はポストモダンの時代であったと考えることができて、そのポストモダン状況のある種の幸福感の反動として現れたのが「サブカル」という四文字に省略された文化的傾向、文化的潮流だったというふうに思います。」
ラテンも日本のリズムだー輪島裕介、より
「要するに、ニューリズムというのは「ノベルティ・ソング」の一種なのです。目新しくて珍しい要素があって、それ自体が人を惹きつける流行歌。この場合は「新しいリズムである」ということが重要なわけです。そう考えるとわかりやすい。
翻って、現代の音楽界を思い起こすと、曲やアルバムは特定の歌手なりアーティストに固有のものであり、シリアスな自己表現なんだという考え方が強すぎるように感じます。」
「あらためて振り返ってみるとそれは、マンボ・ブームの1955年から1967年まで、10年強にわたり、多くの日本人が熱狂的に踊った、稀に見る時代だったわけです。(中略)
もちろん、ビートルズの来日によって劇的に時代が変わったわけではありません。(中略)
しかし人びとが急に音楽で踊らなくなったわけではないにせよ、「踊るためではないポピュラー音楽」というものが登場したことによって、「そっちのほうがなんか高尚で立派だ」というイメージが作られていき、次第にそちらが優位になっていきます。しかもそちらを中心軸として歴史を編むような人も増えていく。
70年代に入ってもディスコ・ブームなど、まだ「踊るための音楽」の流れは潰えていなかったのですが、アメリカではシリアスなロックの人たちが「ディスコは商業主義的で軽薄だ」というふうにバッシングしていました。(中略)
なぜロックがそうした序列化を行ったのでしょうか。それはやはり、ロックがもともと「俺たちはやつらとは違う」というような自己主張をアイデンティティとしているからです。だから「単なるノベルティ・ソングではない俺たち」ということを、そのアイデンティティにしてしまうのです。
本来ロックやフォークのような音楽は「サブカルチャー」だったはずなのですが、今度はそれらがメインカルチャー的に、他の音楽に対して抑圧的に機能するものになっていく。」
ヘタうまーアートと初期衝動ー都築響一、より
「ヘタうまとは、絵としては「ヘタ」なのに、アートとして「うまい」作品のことだと言っていいでしょう。」