美術手帖2017年3月号「キャンバスを打ち破る、現代の女性ペインターたち」より |
「ー 今、日本では、ドキュメンタリーや、プロジェクトベースの作品ほどには、絵画は注目されないのです。そのなかで絵画の意義を信じて描いていくことはできるのでしょうか。
まず、自分がしていることは、注目されているかどうかにかかわらず、やり通さねばならないということです。他人の評価を気にせず、自分のやるべきことをすべきです。何かヴィジョンがあれば、まず描かなくてはなりません。」
エリザベス・ペイトン、インタビュー
聞き手・文、松井みどりより
「いつも制作の際に考えていることは、絵画が絵画であると同時にコンセプチュアル・アートである、ということです。『ギャラリー』と名づけられた空間をある意味で解体し、インスタレーションあるいは社会的な空間として、建築的に空間全体にアプローチすることで、質的にも芸術的なものへと統合させたいと考えています。その時、絵画は異国趣味の装飾的一要素を担うと同時に、私自身の考えや長い歴史を持つ文化的アイデンティティーをも代理表象します。」
ソル・カレロ、インタビューより
「いまアーティストたちはコンセプチュアル・アートと絵画を自覚的に組み合わせて、文化をめぐる国際的な議論や、より幅広い世界の問題につなげ、頭のいい作品をつくっています。(中略)
ただ、絵画はいまでも現代美術の中心とはいえ、ひとつの媒体(メディウム)だけ研究していると過去50年間の美術が理解できなくなってしまう。たとえばリュック・タイマンスは、戦後ヨーロッパ映画や記録写真のことをよく知らなければアプローチできません。あるいは、ケルスティン・ブレッチが2010年に発表した紙ベースのペインティングは、デジタルツールを使ってどういう制作が可能か、少なくともひととおり知っていなければ理解できません。しかもアーティストたちはたいていあらゆる種類のアートを見ているし、ひとつの媒体だけにこだわることは少ない。いやしくも現代美術のキュレーターを名乗るなら、自分の時代の美術に媒体に関係なく親しまないといけない。」
「90年代後半具象絵画が盛りあがってきて、私もはまりました。これは直前の動向である観客参加型コンセプチュアリズム、いまで言う「関係性の美学」の拒絶だった。」
MOMAキュレーター、ローラ・ホプトマン、インタビュー、中野勉翻訳より
「戦後から1950年代にかけてキュビスム風の静物画を起点として抽象的還元を推し進め、60年代にはトレードマークとなった「ストライプ」シリーズを確立、その後も「グリッド」や「モノクローム」といったテーマを通じてミニマルな抽象画を量産したかと思うと、70年代後半からは世界的な「絵画の復権」に同調するかのように、色彩や筆触を強調したペインタリーな大画面へと変節を遂げるー「孤高の画家」というイメージとは正反対に、当時の流行の変遷をほぼ正確に反映していた山田の全仕事を見渡したとき、そこに表出している大きな問題は、山田個人の思想や作品についてではなく、戦後日本におけるモダニズム絵画受容の奇妙な「屈折」そのものであることは言うまでもない。」
「本展では、生前に山田が残した膨大な「制作ノート」も展示され、全体のキュレーションもまた、「制作ノート」で構想されている「円環」をなぞるように設計されていた。しかし山田によって事後的に、何度も何度も修正されたという「制作ノート」に書かれているのはまさに、彼が捏造したかったモダニズム絵画の歴史である。」
「endless 山田正亮の絵画」展、黒瀬陽平 評より
「(前略)作品を読解するコードを、ほとんどの作品がさほど強く要求していないので、観る側はコードを共有しない限り理解できないのだ。
このことは、現代美術なるものがしばしば要求する、コンテクストの敷居の高さとは少し事情が違うように思う。(後略)」
「BARACKOUT/バラックアウト」展、土屋誠一 評より