「20世紀の日本美術 同化と差異の軌跡」ミカエル・リュケン著、南明日香訳 |
「色調は暗く、筆触に潤いが乏しく、顔の表情には愛嬌がない。(中略)それにしても、まさにこの稚拙さが美術評論家たちをひきつけているのではないだろうか?」
「置物を作る側も評する側もただそっくりという以上に、命の息吹のようなものが感じられることが評価の大きな基準になっていたようだ。
幕末から明治初頭を生きる人々が見世物とみなしたもうひとつのものが、「生人形」であった。(中略)
この種の見世物に慣れた時代の傾向が、当時「写真」と呼ばれていたものを生んだといえよう。すなわち写実にむいている分野である。絵画、写真、そこから派生したパノラマ、そして人形芝居(義太夫や人形浄瑠璃)出身のパイオニアが会われた映画などである。
(中略)
正統的な伝統芸術や主流な文化にはならないが、ものへのこだわりを持つ感性にはかなっている。
このような感性は自然発生的なもの(好奇心、驚き、性的興奮)に基づいているために、ある意味で至極当然ということになろう。」
「しかし実のところ大観と栖鳳は、「国華」で線引きされた後に従ったに過ぎなかった。というのも「国華」創刊号に掲載された二つの作品が、奈良の興福寺の国宝「無著菩薩立像」(運慶作)と円山応挙の絵画「鶏図」であったのは、決して偶然ではなかったという事実がある。象徴的な両作品は、日本美術の写実的な命脈をうけついでいる。」
p68まで