「現代美術コテンパン」トム・ウルフ著、高島平吾訳、1975年刊より |
「たとえば読者は、絵や彫刻というものは、見ればわかるものと思っておられるのではないだろうか。トム・ウルフもすなおに(かどうか)そう信じこんでいたのだが、どうももうひとつわからない。それをもっぱら、自分の見る眼が足りないせいにしていたところ、ふとしたきっかけで、じつは現代美術においては、この関係が逆であり、作品の背後にある理屈をつかまないかぎり、見るだけではだめだという、まるで”コロンブスの卵”のような、大いなる錯誤に気づかされたという。
そう聞いて、何という単純な図式をと、怒りだす美術家の方もいるにちがいない。しかし、観衆としての多くの読者は、ほっと胸をなでおろされるのではなかろうか。現代美術はむずかしいというのが、いまでは通り相場になっているからだ。」
「1950年までの“理論”は、およそグリーンバーグを源とするものだった。そこへローゼンバーグが参入する。ローゼンバーグがひっさげてきたのは、もう一段高みに立った総合。グリーンバーグのいう形態的な純粋性と、初期の総合的キュビスム以来、抽象美術がもたなかったもの、つまり、前現代(プレ・モダーン)絵画の、古い、リアリスティックな情念の力とを結びつけた理論。これは、1930年代のあいだ、ずっとピカソを悩ませていた問題だった。もちろんどういうものであれ、いまさらリアリズムへなんか帰れないけれど、しかし、ローゼンバーグが答えをだした。”アクション・ペインティング“。」
「モーリス・ルイスというワシントンから出てきた41歳の画家が、このニュー・ウェイブの隊列に伍さんものとグリーンバーグとじっくり話し合う。あげく、彼の人生は一変。彼はワシントンに帰って考えはじめる。平面、と、あの男はいったよな……(間違いなくいったのだ)……一瞬のひらめきで。ルイスにははっきりと将来がみえた。これまでずっと使ってきた厚ぼったい油絵具そのものが、平面性を侵犯するもの、画面の統合性を損なうものだったのだ……(中略)
というわけで、ルイスは、下塗りもしないキャンヴァスを使い、絵具を塗るときにも、それがじかにキャンヴァスに浸みこむまで薄めた。(中略)画面の上にも下にも、何もない。強いてあるとすれば、極小の綿くずくらい……そう、いまやすべては画面のなかにしかなかった。絵具は画面で、画面は絵具。たしか平面といったよな?それならこれをしのぐ平面をやってごらん、若僧どもよ!」
「ニューマンも、八丁目でもっとも口うるさい理論家のひとりときており、のちにはそれが彼の作品に如実に出ていた。彼は、死ぬまでの22年間を、ほかならぬフラットな画面上の、ストライプによって分割された大きな色域の問題(問題だとすれば)にとりくんですごしたのだ。もはや誰も、”理論”を知らぬ存ぜぬではすまない。」
「初期のモダニズムのほとんど、とくにキュビスムは、ただ部分的に抽象だった。(中略)いずれにせよ裸の女性にはちがいなかった。多くのコレクターたちにとっては、それが新手法(フォーヴィスムの、キュビスムの、表現主義の、シュルレアリスムの、そのほかもろもろの……)によるものだ、という事実さえわかれば、それでいうことなしだった。ところが抽象表現主義とそれ以降のもののばあい、必要なんですね……”言葉”が。それはもう、あれか、これかの問題ではなかったわけで。平面性やそれに関連する一般原則をわきまえていないことには、絵のなかに何を見ようが無駄なのだった。」
「レオ・スタインバーグは、もうひとりの理論家(にしてコレクター)ウィリアム・ルービンともども、ジョーンズ作品を、より新しい、より高度なひとつの総合だと書く。で、その核心の論点は?しかし、それもうー毎度おなじみ、あの平面性!!
この新理論とは、こうである。つまり、ジョーンズは、旗とか数字とか文字とか、はたまた的とか、性質そのもからしてフラットな現実物を主題に選んだ。いわば、生まれながらにしてフラットなもの。それによって、ジョーンズは、じつに驚くべきことをなしとげている。彼は現実の主題を現代美術にもちこんだのだが、その方法は、”平面性”の法則を犯すわけでも、”文学的”な内容を導入するわけでもない。逆に彼は、日常的なコミュニケーションの道具ー旗や数字ーを美術作品に変えている……そしてそれによって、それらを非文学化している!(中略)
次いでスタインバーグは、もっと別なことに気づく。ジョーンズはそのフラットな記号を、小きざみでむらのある、セザンヌばりの筆触でおおっていた。どうやらこれば、作品をよけいフラットに見せている。じじつ、彼の平面性は、デ・クーニングやポロックのような抽象表現主義作品の疑似平面性を、いっきょに露呈させるものだった。」
「だが、まあ、何ですね、以前の芸術をその参照点として用いる当世の美術の傾向には、いささか近親相姦めいた匂いがしませんかね?初期のモダニズムは、アカデミックな写実主義への講釈だったし、抽象表現主義は初期のモダニズムへの評釈だった。そしていま、ポップ・アートは、抽象表現主義にたいするコメントーそこには何か、いささか狭く、内輪的な、内側に向かってしか育たないようなところがないのでしょうか?いや、全然、とスタインバーグはいった。そして彼は、この時期の偉大なる格言のひとつをものす。いわく、「ほかの何であれ、あらゆる大芸術は芸術についてのものである」。」
「オップ・アート自身は、けっしてそれを、“オップ・アート”とは呼ばなかった。彼らにいわせると、むしろそれは”知覚的抽象”なのである。つまり、こうだーキュビスムは、現実世界のイリュージョンを見る窓としての19世紀的絵画感から絵を解放した。デ・スティルや抽象表現主義などの初期抽象は、絵画を「椅子とテーブルと同じようにリアルな、それ自体ひとりだちしたもの」として確立することでこの営為を継承展開させた。われわれ知覚的抽象の作家は、このものとしての美術を、純粋に知覚的作品に変えることによってこのプロセスを完遂させる。特殊な光学的作用を生みだすことによって(だが、あくまでもフラットな表面に!)、われわれはそれを外部世界から引き離し、「角膜と脳髄とのあいだ」の未知なる領域にもちこむ……。
かくしていよいよ“理論”の本格的始動……還元主義へ向かって。で、このばあいの“理論”は、リアルな美術とはひとの脳髄のなかで生起するものにほかならない、というものだった。」
「抽象表現主義は、たしかに多くの進歩をもたらしはしたが、と彼はいった。そこには終始、何か古めかしいところがあった、と。その古めかしいところとは……ブラッシュストローク(筆づかい)だった、と。えっ、ブラッシュストローク?そう、ブラッシュストロークとグリーンバーグ。(中略)
きわつけのポップ・アーティスト、リキテンシュタインは、この考え方が気に入った。というか、この考え方をずいぶんおもしろがった。そこで彼は、一連の”ブラッシュストローク”絵画を制作する。」
「どういうわけか、彼らの誰ひとりとして擁護しない(「説得力ある理論の欠如」)この様式が、売れに売れている。(中略)
それでは、コレクターや作家自身は、20世紀美術の精華、つまり“美術理論”を捨ててしまったのか。いや、まだまだ。フォト・リアリストたちはコレクターに、だいじょうぶ、すべてはOK、まちがいなし、と安心させる。彼らが胸を張っていうには、自分らが描いているのは現実の情景ではなく、むしろカメラ・イメージ(リアリズムではなく“フォト・システム”)だ、と。さらにいう、自分らはブラッシュストロークなどその片鱗も見せはしない。描くのはただ穏やかな日ざしをうけた昼下がりの情景ー何かを”喚起”することがないように。われわれは画面全体に、ちょっと信じられないばかりの”均質さ”を出しているー絵葉書のようにツルツルテンの空にも、まんなかの流線型の銀色の銃弾にも、同じほどたっぷり絵具を使っている……。」