「つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る」山田康広著より 2 |
「また、日本が日清・日露戦争を経験し、多数の日本人が国外で死亡する事例が相次ぐようになると、従来の日本の伝統的社会に存在した「亡くなった人の霊魂は、近傍の山などに登り、そこから私たちの生活を見守っている」(柳田1946)といった、霊魂観・祖霊観は成立し難くなってしまっていた。そのような「さまよえる霊魂」を国の管理の下で一括祭祀したのが靖国神社である(村上1974)。戦死者を弔うために、靖国神社ではこれを神として扱い、系譜的な死生観である「先祖代々」の中の殊勝者として位置づけ、国民に対し、これを「国民としてあるべき、そして誇りに思われるべき死者」として提示した。さらに、遺族たちは「誉れの遺族」として恩給を受け、精神的・経済的にも国家の監視下に置かれることになった(一ノ瀬2005)。」このような霊魂管理システムを構築した近代国家としての日本では、死者の霊が勝手に生まれ変わったり、回帰・循環しては困るのである。」
「本書の第1章から第4章で述べてきたことは、主に以下の七点である。
1:第二次世界大戦前においては、「縄文時代」という言葉が用いられることはほとんどなく、ほぼ一律に石器時代という呼称が使用されていた。「縄文時代」という言葉・概念は、「弥生時代」とともに、発展段階的な視点から戦後における「新しい日本史」を記述するために用意されたものであり、その意味では政治的な側面を有している。
2:したがって、歴史を叙述するにあたって「縄文時代」・「縄文文化」と言った場合、それは当初から「日本」における「一国史」としての枠組みが前提とされる。当然ながら、「日本」以外には、「縄文時代」という概念は存在せず、世界史的には、本格的な農耕を行っていない新石器時代というユニークな位置付けが与えられることになる。
3:このような「一国史」において、「縄文時代」という用語の一般化は、戦後の「日本」が真の独立国家としての歩を軌道に乗せた頃と時期を同じくする。これは、「日本」が独自の歴史を語り始めたということに他ならない。
(中略)
7:また、「縄文時代」・「縄文文化」の捉え方、およびその研究動向は、日本社会における世相に大きく影響を受けてきた側面がある。したがって、「縄文時代」のイメージも、誰もが平等な理想社会から、生まれながらにして身分格差のある階層化社会まで、世相およびそれに起因する縄文時代に対する社会的ニーズによって変化してきたと言える。」