「つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る」山田康広著より |
あるいは、その縄文時代の定義や内容をめぐって、現在の考古学では侃々諤々の様々な議論が行われており、未だ決着を見ていない、と言ったら、いかがであろうか。」
「デーニッツにしてもベルツにしても、日本人は多様な人種の混交によって形成されたことを主張しており、ここには後年主張されるような「日本人は単一である」というような考えは影も形もない。
(中略)20世紀初頭の日本人の人類学者達は、上記のような「日本人混交成立説」を支持していたようであり、繰り返すがそこには「単一民族」なる言葉は一切出てこない。
ちなみに現代の人類学においては、人種という概念はあまり重要視されていない。これは現在ではいかなる人種もホモ・サピエンスという同一の種に含まれることが判明しており、自然環境への適応の仕方によって様々な形質が発現しているだけと考えられているからである。」
「現代人は現代人であり、縄文人似、弥生人似といった言説には、さしたる裏付けもないことが多い。」
「古い文化が大陸の影響を強く受けた新しい文化によって駆逐されるという縄文時代から弥生時代への移行の構図は、欧米風文化が急激に流入し生活文化が大きく変化した昭和20〜30年代の社会的情勢を考慮した場合、非常に聞こえのよい言説であったに違いない。弥生時代の語およびその基本概念は、戦前・戦中から戦後・高度経済成長という世相的構図ともリンクしつつ、新生日本史の象徴としても普及したとも言うことができるだろう。」