「贋作ってなに?」美術手帖2014年9月号より |
「スターテヴァントのこうした盗用の幅広さは、ウォーホルの63年の以下のような発言を想起させる。「なぜひとつの様式がほかのそれよりも優れているといえるのでしょうか。なにかを放棄したという感情を抱かずに、来週には抽象表現主義者、ポップ・アーティストや写実主義者になることが可能となるべきです。」」
「一見して謎めいた彼女の表現に、美術史という学問の変質の契機をみてとったのが、美術史家のトマス・クロウである。クロウはあるコレクターの開いたパーティーの一幕を例に出す。招待客たちは、ウォーホルとステラの作風を模したスターテヴァントの「贋作」がコレクターの自宅に飾られていても、それらが本物だと思い違いをしている時点では作品を語ろうとしない。しかし、それらがスターテヴァントによるものだと明かされると、彼らは嬉々として「美術」やミメーシスの問題を議論しはじめる。この逸話は、美術が視覚性それ自体ではなく、語られる「概念」に比重を置く表現であることを物語っている。このコレクターはさらに美術の概念的な属性を、テレビやラジオに関する議論を共通項として、美術は「メディア」の一形態に近づき、美術史という学問も「メディア論」へと同化したという時代性が、スターテヴァントの作品によって体現されている。」