「「読まなくてもいい本」の読書案内」橘玲著より |
そこでソーカルは、ポモの思想家が本や雑誌に書きちらした「論文」からデタラメ(科学の濫用)を集めてきて、それを適当につなぎ合わせて論文ぽく見えるように仕立て、当時、アメリカでもっとも権威があるとされていたポモの思想誌に投稿してみた。そうしたら見事に、このパロディ論文が掲載されてしまったのだ。
(中略)難しい「思想を語っていたはずの賢そうなひとたちは、じつは論文の内容をまったく理解していなかったのだ。」(ポモはこの書中のポストモダンの略)
「ポモの思想家たちは、自分たちの言葉遊び(知的曲芸)を本物の数学者や物理学者が読むなんて想像してもいなかった。(中略)
でも、デタラメをどれほど並べ立ててもデタラメにしかならない。自分が書いたことを理解していない「思想家」なんて、世の中にこれほどカッコ悪いものはない。ということでポモは永遠に葬り去られてしまった。」
「進化についての典型的な誤解は、ウイルスからバクテリアを下等生物、ヒトを高等生物として、昆虫、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類を直線上に並べることだ。でも進化を進歩と混同するのはまったくの間違いで、トカゲやアリはもちろん、ウイルスだって40億年の進化の歴史を経て現在の姿になった。」
「進化論の誤用の典型は、「トヨタの遺伝子」や「進化したサッカー日本代表」のような使い方だ。すっかり日常語になっているが、組織に遺伝子はないし、進化は進歩や成長のことではない。」
「ギリシア文明を引き継いだイスラームの影響でヨーロッパにルネッサンスと啓蒙主義が興ると、14世紀のイタリアでふたたび人体解剖が始まり、フランスの哲学者・科学者ルネ・デカルト(1596〜1650)が登場する頃には、意識の座が脳にあることまではわかっていた。」
図15
「図15の正しい認識は、平面上にパックマンが三個、たまたま特定の方向で置かれている、というものだ。でも脳のプログラムはそこからパターンを読み取って、黒い三つの丸が白い三角形と重ね合わされていると認識する。なぜなら、草むらに隠れた獲物や敵を瞬時に見つけるには、平面(二次元)の模様ではなく立体(三次元)のパターンを認識できた方がはるかに有利だから。こうした“生き延びるための錯視”はものすごくたくさん見つかっていて、それを利用すると脳がいともかんたんにだまされることがわかっている。純粋意識がこんなにいい加減では、ぜんぜん役に立たないだろう。
フッサールは意識について一所懸命考えて難解な本をたくさん書いたけど、どんなにエポケーしても”諸学の基礎”になるような確実なもの(超越論的主観性)は意識のなかには見つけられない。なぜなら、そんなものは最初からないのだから。」
「植物が効率的に種子を拡散するには、よりたくさんの果実を食べてもらわなければならない。同時に果実食の動物たちは、森のなかで効果的にエサをみつける能力を身につけたはずだ。すなわち、(ここでは)植物と動物の利害は一致している。
(中略)
植物は光合成のため多くの葉を茂らせなければならず、森の背景色は常に緑になる。そのときにもっとも目立つのは、緑の反対色(補色)である赤やオレンジだ。
このようにして、植物は種子がじゅうぶんに育つと果実を赤く変色させ、動物たちを誘うように進化した。動物たちは、マズくて栄養価の低い緑色の果実を避け、甘く熟した赤い果実だけを素早く見つけて食べるように進化した。この”共進化”によってリンゴはますます赤くなり、(ヒトを含む)果実食の動物は色覚を発達させてそれおを“赤”と識別するようになった。」
「(親しい相手を替え玉だと信じ込むカプグラ症候群や自分は既に死んでいると思い込むコタール症候群について)
脳の外傷性障害によるこうした悲劇は、ひとの判断には理性よりも感情が圧倒的に大きな影響力を持つことを示している。論理的に正しいとわかっていることでも感情がそれを否定すれば、その事実を受け容れることができないのだ。」
「その迷信とは、幼児期の虐待のような”こころの傷”が長期(場合によっては何十年)の潜伏期間を経て鬱病や自殺衝動、犯罪などの異常行動を引き起こすというもので、「トラウマ」として知られている。
心理的な衝撃がこころの不調の原因になるというのは、戦争や自然災害、交通事故などの被害者の後遺症「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」として研究が進められてきた。しかしここでいうトラウマは、(まがりなりにも)科学的な枠組みのなかで議論されてきたPTSDとは異なる概念だ。
トラウマという言葉を有名にしたのはアメリカの心理学者でラディカルなフェミニストでもあるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』だった。ハーマンはこの本で、幼少期のレイプなどの虐待が"抑圧された記憶”としてトラウマとなり、成人した後になっても多くの女性を苦しめているのだと論じた。」
「ロフタスの研究につづき、認知心理学者たちがつぎつぎと「記憶はつくりだせる」という研究を発表したことで、アメリカ心理学会や精神医学会は「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない」と結論づけ、米国医師会は94年に「蘇った記憶の信頼性H不確実であり、外部からの暗示に影響されている」との声明を発表した。」
「いまでは、エディプス・コンプレックスはまったくのデタラメだとわかっている。
(中略)
遺伝学的には、近親相姦はきわめて不利な繁殖方法だ。
(中略)
ひとの無意識にあるのはエディプスコンプレックスではなく、「幼年時代を共有した異性とのセックスを避けよ」という進化の指令だった。」
「ヘーゲルに代表されるように、それまでの西洋哲学は意識と存在をめぐって難解な思索を延々と繰り広げてきた。それに対して、人間の行動のほとんどは無意識が決めていて、性的欲望が決定的に重要だと指摘したことはフロイトの大きな功績だ。だがフロイトの評価が難しいのは、そこから先の理論がほとんど間違っているからだーそれも、とんでもなく。
エディプスコンプレックスなんてなかったし、女の子は自分がペニスを持ってないことで悩んだりしない。どのような脳科学からもリビドー(性的エネルギー)は見つからないし、意識が「イド、自我、超自我」の三層構造になっている証拠もない。夢は睡眠中に感覚が遮断された状態で見る幻覚で、抑圧された無意識の表出ではなくたんなる「意識」現象だ。」
「フロイトの死後、後継者を名乗る精神分析家たちは、対照実験を拒否して、第三者が反証できない自分たちのサークル内での「成功例」だけを誇示してきた。しかしこれでは自然治癒とのちがいがわからず、「根拠に基づいた医療」の原則からはほど遠い。そのためいまでは、エビデンス(治療実績)を示せない精神分析は科学というよりカルトの一種として扱われ、まともな精神科医からは相手にされていない(当然、アメリカでも保険適用外だ。)
さらに問題なのは、"フロイト理論”を「発展」させたフランスのポモの思想家たちだ。ラカンは、『父の名」による原抑圧によってファルス(男根による象徴される全能性)を去勢されることで自己の確立が始まると説いた。ドゥルーズ=ガタリはそれを批判し、『アンチ・オイディプス』において、ラカン的な原抑圧に「反復」を対置した。でも単純な疑問として、もともとのエディプスコンプレックスがデタラメなら、それに基づいた”高尚な議論”にどれほどの価値があるのだろう。」
「読まなくてもいい本」の読書案内」橘玲著より