「美学への招待」佐々木健一著より 2 |
「一目見ただけで、これは藝術ではない、と斥けるのは、ある既成の美学的概念に囚われているからです。まずは、子供のようにそのおもしろさを受け容れてみるのが、よいのではないか、それがしなやかな応答を論じてきた理由です。しかし、それだけでは知覚レベルを超えてゆくことはできません。現代の藝術が、一面で知覚的な探求の領域を広げながら、他方では藝術とは何かという哲学的な(言い換えれば美学的な)次元に入り込んでいることは、否定できない事実です。」
「ダントーの論文「アートワールド」(1964年)は、「永遠の藝術」について可能であったようなタイプの定義、すなわち、藝術作品そのものの特徴や、作品とひとや社会との関係などを指摘することによって行う定義が、もはや不可能になった、という事実を出発点とします。事実、『モナリザ』とデュシャンの『泉』をともに満足させるように定義することは、ほとんど絶望的です。そこでダントーの提出したテーゼは、《何が藝術であるかは、アートワールドが決める》というものです。この「藝術界(アートワールド)」とは、藝術に携わる専門家たちの集合体のことです。すなわち、藝術家、評論家、学者、ジャーナリスト、美術館の学芸員たちが、この「アートワールド」の住人たち、ということになります。」
「アートワールドの住人たちにしても、またとくに、藝術の愛好家にしても、永遠派と現代派は、重なり合うところが少なく、両者は、ステーキ派とヴェジタリアンほどに異質という印象を与えます。熱狂的なのは現代派で、かれらは永遠の藝術を嫌っているのではないか、とさえ思われることがあります。そして、大衆は永遠派です。総合すると、昔の藝術の高い人気、現代藝術の不人気という顕著な事実に加え、現代藝術が少数だがマニアックな愛好者(とくにコレクター)によって支えられる、というアートワールドの狭隘化の事実が浮かび上がってきます。」
「美術館の成立は、音楽におけるコンサートの定例化、とくに常設オーケストラの組織と対応する出来事と言えます。美術館ができると、そのコレクションにある古典的な作品は、そこに行けばいつでも観ることができるようになります。そこで、新作よりも古典の方がよく知っている、身近だ、という現象が起こってくるわけです。大体、18世紀後半から19世紀前半にかけての時期のことです。」
「ものを作り出す仕事のなかで、実用目的をもたず(あるいはそれを最も重要な目的とせず)、したがって、とくに現実世界のすがたを再現する類のもののうちー藝術の古典的な定義は「自然模倣」という説です−、背後に精神的な次元を隠し持ち、それを開示することを真の目的としている活動が、藝術です。(中略)作者にしても観賞者にしても、その意識の焦点は、作品の表層から深層へと移行します。それまでこだわりなく愉しんでいた表層について、その根拠を求めるようになります。主役が作品から作者へと移ります。藝術家は典型的な天才として、人間の創造力 ーそれは近代という時代のキー・ワードですー を体現するスターになります。ただし、その創造力は理論と一体のものでありますから、これは理論の、つまり美学の時代とも言えるわけです。」