「見てしまう人びと 幻覚の脳科学」オリヴァー・サックス著、大田直子訳より |
私たちは、互いにきずなを結びやすくなるよう抑制を緩めたり、時間の意識や死すべき運命の自覚に耐えられるよう何かに夢中になったりすることを求める傾向がある。心の内および外界の束縛から逃れる休日を、自分はいまここにいるという強い感覚を、自分が暮らしている世界の美しさと価値を、私たちは求めている。」
「メスカルについて書いたハインリヒ・クリューヴァーは幻覚剤で生じる単純な幾何学的幻覚は偏頭痛その他のさまざまな病気で見られるものと同一である、と述べている。彼の受けた印象では、そのような幾何学的図形は、記憶とも、個人的な経験や欲求や想像とも関係がなく、脳の視覚系の構造そのものに組み込まれていたのだ。
(中略)
実のところ偏頭痛で生じるような模様は、イスラム芸術、古代ギリシャ・ローマや中世のモチーフ、メキシコのサポテカ族の建築物、オーストラリアのアボリジニ芸術の樹皮絵画、アメリカ先住民のアコマ族の陶器、アフリカのスワジ族の籠細工など、ほぼあらゆる文化に何万年も前から見られる。そのような内的経験を外面化して芸術にする欲求は、先史時代の洞窟壁画の平行線模様から1960年代のサイケデリックな渦巻きアートまで、人類史上いつの時代にもあるようだ。私たちの脳組織に組み込まれている心のなかの唐草模様と六角形が、そもそも私たちに形式美を感じさせるのではないだろうか。
神経科学者のあいだには、視覚系ニューロンの大集団の自己組織化活動が視覚の前提条件であり、それこそが見ることの始まりであるという意見が強まりつつある。自発的な自己組織化は生物系に限定される者ではない。雪の結晶の生成、荒れ狂う波のうねりと渦巻き、周期的に振動する化学反応にも見られる。」
「死や棄郷、あるいは時間の経過によって離れてしまった、最愛の人や場所への深い悲しみや恋しさ。自我や生命を脅かすほどのひどく衝撃的な出来事による恐怖、嫌悪、苦痛、不安。罪や悪行に対する後ろめたさに、遅まきながら良心が責めさいなまれることによっても、幻覚が引き起こされることがある。幽霊ー帰ってきた死者の霊ーの幻覚は、ことさら暴力的な死や罪にかかわりが深い。
そのような幽霊の出現や幻覚の話は、あらゆる文化の神話と文学で確固たる地位を占めている。」
「瞑想、精神修養、熱狂的な踊りのような慣習も、催眠のそれと同じような鮮明な幻覚と深い生理的変化(たとえば、頭と足を支えられているだけなのに全身が板のようにこわばったままになる硬直など)をともあう、トランス状態を促進する要件になりうる。」
「それほど崇高ではないレベルでも、私たちはみな暗示の力を受けやすい。感情喚起や得体の知れない刺激と組み合わさった場合はなおさらだ。家が「霊に取りつかれている」という考えを、人は理性では一蹴するとしても、心は用心深い状態になり、幻覚さえ起こることがある。」
「体外離脱体験は、脳卒中や偏頭痛の最中に脳の特定部位が刺激されるときだけでなく、皮質を電気的に刺激することでも起こりうる。さらには薬物経験や自己催眠状態でも起こるだろう。体外離脱体験は、心停止や不整脈、大量出血、またはショック状態が生じた場合、脳が十分な血液を受け取れないことによっても起こりうる。」
「多くの臨死体験に共通する驚くほど画一的で型にはまった経験を、詳しく記述している。
(中略)
そのような経験はリアルに感じられ、「現実よりリアル」とよく言われる。ムーディのインタビューを受けた人の多くは、このような異例の経験を超自然現象として解釈するほうを好んだが、幻覚の異常に複雑なタイプと考えるようになった人もいた。臨死体験はとくに心停止と関連があって、血圧が急に低下し、顔が青白くなり、頭と脳から血が引いて失神したときにも起こることがあるので、脳の活動と血流の観点から現実的な説明を追求している研究者も多い。」
「『分身の現象は癇癪以外にも、全身麻痺[神経梅毒]、脳炎、統合失調症の脳症、脳の局所性病変、心的外傷後障害など、さまざまな脳の疾患によって生じる可能性がある。……分身の幻影によって、人は病気の発症を真剣に疑うはずである。』」
「身体性は世界で最も確かなもの、反論の余地のない事実であるように思われる。私たちは自分自身が自分の体のなかにあって、自分の体は自分のもの、自分だけのもの、だから自分の目で外の世界を見て、自分自身の脚で歩いて、自分自身の手で握手している、と考えている。そして意識は自分の頭のなかにあるという感覚も持っている。身体イメージや身体図式(ボディ・スキーマ)は人の意識のなかで一定不変の部分であり、おそらくある程度生まれつき備わっていて、関節と筋肉の受容体から継続的に送られてくる、自分の手足の位置と動きに関する固有受容フィードバックによって維持され、再確認されている。そう長年考えられていた。
そのためマシュー・ボドヴィニクとジョナサン・コーエンが1998年に、条件がそろえばゴムの手を自分の手とまちがえる可能性があることを示したとき、それを知った者は一様に驚いた。」