「イメージ・リテラシー工場」より |
イメージは、また視覚的記号であり、視覚的に再現することを通して私たちを他の事物へと向けるものである。類比的な再現が,西洋文明では圧倒的力をもつ。イメージとそのモデルとの多かれ少なかれ完全な類似、つまり〈形象的リアリズム〉は、私たちの習慣に深く根づいている。私たちは、絵画、デッサン、写真、映画などで再現の様式が認知され、広められると、私たちの知覚や思考の方法に深く浸透し、それが私たちにとって当たり前のものとなってしまう。」
(絵画と写真)
「しかし、だからといって、写真が現実の表現を引き受け、現実の代替物になったわけではない。写真的視覚が、眼の視覚と混同されることはありえない。二十世紀の多くの芸術家は、何が、現実の空間と写真に写された空間を区別し、同時につながりあるものとするかについて考えてきた。写真は、人が外観を認識するための道具になる。」
(写真、見えるものと視覚)
「1.眼は暗箱というわけではない。眼がとらえる形は、湾曲した凹面(網膜)上に投影されたものであり、一方、カメラ・オブスクーラによって生みだされる像は、平面上に投影されたものである。視野の形は、回転楕円面である。他方、写真像はファインダーが捉えるイメージの、長方形ないし正方形のフレームに刻み込まれている。このフレームの形は文化的に固定された形であり(水平軸と垂直軸からなる)、デカルト座標体系のように機能する。
2,私たちは両眼で見るが、一方、写真機はレンズが1つしかない。写真的視覚は、単眼視である。さらに、私たちの眼は絶えず動いているが、レンズの視覚は固定している。」
(自画像)
「アルブレヒト・デューラーが、このジャンルの最初の絵画を1493年に制作する。彼の『自画像』において、職人は芸術家になる。つまり、創造者の威厳にまで達し、自分自身の特徴を刻み込むことで自分の作品を個性的にするのである。」