「ユリイカ」中原淳一特集より |
「目を大きく描くことによって、日本の女性をどこかしら西欧風の風貌に感じさせたことは間違いない。ちなみに、アメリカ製のバービー・ドールよりも日本でつくられたバービードールの方が目が大きくなっている。そのことは、目の大きさに西欧的な相貌を観念化したわたしたちの感覚をあらわしているといえるだろう。」
スタイル画と様式 岩下朋世
(高橋真琴がマンガの中に全身のスタイル画を導入したことや、マンガとは区別されていた少女雑誌に載っていた絵物語について)
「中原が1947年に創刊した「ひまわり」に出会ったことがきっかけで画家を志すようになったと語る高橋の画風は、その大目玉はもちろん、細く長い手足などのプロポーションにおいても中原に代表される抒情画や少女イラストの影響が如実である。また、高橋は1960年代以降、マンガ家としてではなくイラストレーターとして活動してゆくことになるのだが、マンガ家時代後期の作品とイラストレーターとしての作品の間には明瞭な絵柄の違いを見出すことはできない。高橋の「スタイル画」が後の少女まんが特有とみなされる様式(スタイル)を方向付ける上でもたらした大きな影響について考えるとき、彼がマンガとそれ以外の絵柄をさほどはっきりとは描き分けなかったことは注目に値する。
高橋の仕事がマンガ史上の画期だとするならば、それまでの基準に置いてマンガらしからぬ絵柄、絵物語に目立つものであった重層的な画面構成を用いながら、この時期の高橋の仕事が基本的にはマンガとして位置づけれたことにあると考えられる。
マンガか否かの判断基準が絵柄に大きく依存するのであれば、そもそも「抒情画風の絵柄のマンガ」は成立しづらいはずだ。高橋の作品がマンガとして扱われ、なおかつ、その「スタイル画」表現が少女マンガの中に素早く浸透していったことは、マンガと絵物語を線引きする基準の変化を示すものなのではないか。」