「90年代アメリカ映画100」より |
「こうした映画のファッション化のなかで、それまで日の当たらなかった過去の作品に、新しい視点から価値を与えようとする風潮が生まれてゆく。主に渋谷のミニシアターを中心として、リチャード・レスターの『ナック』(65)や市川崑の『黒い十人の女』(61)など、60〜70年代の知る人ぞ知る映画がリバイバル上映され、カルト化していった。
このような現象は、音楽ジャンルにおいては、映画に先行して当時すでに一つのムーブメントを形成していた。それは、過去の音源を、リスペクトをこめつつ自身の楽曲に散りばめるサンプリングという手法に象徴される。80年代にアメリカのヒップホップをとおして流布したこの手法は、90年代以降、マイケル・ジャクソンやマドンナら世界的トップスターの楽曲にも積極的に取り入れられるようになっていった。
日本でこうした手法をいち早く定着させたのは、「シブヤ系」と呼ばれる一群のアーティストである。小西康陽率いるピチカート・ファイヴ、小山田圭吾と小沢健二によるフリッパーズ・ギター、テクノユニットの電気グルーヴら。何より前述した『ナック』や『黒い十人の女』のリバイバル上映を仕掛けた張本人が、ほかならぬ小西康陽だったことは記憶に留めておくべきだろう。」
「しかし、92年の大統領選で勝利を収めたのは、民主党のビル・クリントンだった。確かに父ブッシュは外交で大成功を収めたが、そのときすでに重要な課題は国内問題へと移行していた。レーガン政権下で膨らみつづけた膨大な財政赤字によって、経済の失速が始まっていたからだ。必要とされていたのは経済を立て直すことができる大統領だったわけだ。」
「しかし、イランやイラクを外的へと格上げしきれなかった時期、アメリカ人は国内に敵を求めた。それは南北戦争のしこりという褶曲線沿いに展開、「文化戦争」または「第二の南北戦争」と呼ばれる。(負けた会津が未だに薩長を憎悪して止まぬ異常さを想像されたい。)今日では文化戦争は、主に民主党vs共和党右派との戦いで示される。最大の皮肉は、北部基盤のリンカーンの共和党がレーガン以来差別的な何部の政党に豹変、かつは南部の差別的政党・民主党が20世紀前半から、そして今日ではオバマを頂く、革新政党に一変していることだ。悪しき「平均的なアメリカ人」は主に南部白人(「レーガン・デモクラツ」や「キリスト教右翼」や「茶会派」)で、敵は連邦政府(目下、お誂え向きに黒人大統領)である。」
「90年代アメリカ映画100」大場正明監修、佐野亨主編より