「少女ロマンス 高橋真琴の世界」 より |
少し時代を遡ってみよう。
高橋真琴の絵の源流をたどれば、抒情画や藤田嗣治の絵などを経て、浮世絵の美人画に行き着く。喜多川歌麿の美人大首絵と高橋真琴のバストアップの少女絵の間には、そんなに大きな隔たりはないと思う。
でも、目は決定的に違う。浮世絵に描かれた女性の目は、とても小さくて細い。(中略)
土偶の作者を別にすれば、大正時代に活躍した竹久夢二が、「大きな瞳の女性の絵」で脚光を浴びた初めての日本人だろう。ところが、抒情画第一世代の彼の描く瞳は、今見るとちっとも大きく見えず、浮世絵の切れ長の目からあまり遠くない。
竹久夢二の影響を受けつつ、抒情画界に彗星のように現れた中原淳一が昭和10年代に少女の瞳をグッと大きくまるくした。その瞳の大きさは「異様」の域に肉薄していたが、それでもまだまだ手ぬるい。
高橋真琴が貸本まんがを描きはじめた昭和20年代後半は、抒情画が衰退し、少女まんがが台頭する大転換期だった。「リボンの騎士」で少女まんがの原型のひとつをつくった手塚治虫などは、すでに異様に大きな瞳の少女を描いていた。
こうして段階的に育った瞳のサイズとは違って、瞳の星は、気づいたらそこらじゅうで輝いていた。
高橋真琴が雑誌デビューした昭和30年代前半には、横山光輝や水野英子、松本零士(当時は松本あきら)が、瞳の真ん中に十字に光るほしのようなものを描いていた。これは当時の流行だったようだ。といっても、シンプルすぎるこの白十字は、高橋真琴が完成させた星座入りの過剰な瞳とはかなり違う。
少年まんがと少女まんがが未分化だったこの混沌の時代に、高橋真琴が少女まんがに独自の道を示した。少女の瞳は一気に進化、開花していく。その中で、高橋真琴の描く瞳も、輝きを増していった。
高橋真琴は宝塚歌劇の大ファンで華やかなタカラジェンヌたちの、ライトを浴びた瞳の輝きを絵で表現してみたら、星になったと言っている。
(後略)
「少女ロマンス 高橋真琴の世界」
天球の瞳がもたらしたもの 中野純 より