「オブジェに日用品、映像や写真や装置が、ホワイトキューブ空間の中に適宜配置されて、意味が有るような無いような雰囲気を醸し出す「インスタレーション」は、もはや見慣れた現代美術の制度であり、様式である。それぞれに「美術史を参照」「脱力系のユーモア」、作品を「読む」「理解する」行為への「肩すかし」・・・があったりするらしいが、結局のところ美術という制度の内部でその制度からの自由を演出する胡散臭さ(教師が先導する自由)、言い換えれば、インサイダーのあいだでのみ成立する誰も負けないゲーム(民主的啓蒙)の退屈さが拭えないのが常である。
・・・・・素材の特性に、造形の問題をまるごと委ねてしまう感性が、美術史だの日常だの脱構築だのといった文脈の侵入を潔く遮断し、そこに凡庸な現代美術の「インスタレーション」との相違がよく現れていた。」