「流用アート論」小田茂一 |
(古代ギリシャのゼウクシスがカーテンを書いたパラシオスに布をのけて「作品」を見せるように求めた逸話より)
「このエピソードから、目の前のものを忠実に再現するのか、あるいは自らの観念世界を表出するのかという、二人の絵画表現への考え方の違いは明白である。絵画は「何」を描出できるのかということと、「どういうふうに」表現するのかといいいのかということについて、二人の意識の差異の大きさを象徴的に表しているといえるだろう。
「このことでジョーンズが一貫して提示したのは、絵画の平面性である。そして、誰にもわかりやすい具体的なものを通じて可視化しようと流用されたのが、星条旗やダーツの標的といったモチーフだった。この表現をとおしてジョーンズは、遠近法や色調の明暗やコントラストによって平面上に三次元的な空間をイメージさせるルネサンス期以来の絵画のイリュージョンを否定した。そして二十世紀絵画の平面性追求の仕上げをおこなったといえるだろう。」
「フルクサスのメンバーは、アーティスト個人の意識のなかだけでは完結することがないこうしたインタラクティブな要素の作品化に、積極的に取り組んだ。思いつきを実際に完結させるためには、強い意志が求められる。そうした作品づくりにまじめに取り組んだのが、フルクサスのイヴェントといえるだろう。フルクサスの創始者ジョージ・マチューナスは、「フルクサスとは良質のギャグ以上のものとは思っていない」と述べている。」
「「これは芸術なんかではありえない」と世の中の大部分の人が見なしているなかで、「わたしは芸術よ」と主張しながら、どんどん説得力を増してきたのがポップ・アートであると、フランスの美術批評家ロラン・バルトは指摘している。このプロセスは、一九六〇年代に音楽の世界でロックが世間に受け入れられていった現象と同時進行的であるように思われる。そこで起こっていたのは、それまでには考えられなかったような、価値観の逆転あるいは倒錯である。バルトによれば、アートの表現内容をめぐって、「あなたが崇めていたものを焼き捨てなさい。あなたが焼き捨てていたものを崇めなさい」という逆転が起こったのだという。」
「大量に印刷されてマンガの一コマを流用してアート表現に置き換えたロイ・リキテンスタインもまた、作者としての立場から「ポップの特徴は何よりも無視されていたものを利用することである」と述べている。人々がこれはアートではないとするものに目を向け、そこに新たな価値を見出すことこそが、アーティストの使命なったのである。そしてこのことは、ハイ・アートという概念をも否定するアートのボーダレス化を用意したといえるだろう。また、既にあるものをベースとするポップ・アートというスタイルは、どこまでがアートでどこからがそうでないのか、という区切りそのものをもボーダレス化する大きなきっかけになった。」
「一方、ポストモダニズム社会では、人々の意識は大量消費社会がもたらしたような疎外感ではなく、日々の行き方や身辺との関わりのなかでの、手の届きやすい個人的な事象へと向かうことにはった。大量消費社会の終焉後を生きる自らの行き方や暮らし向きを直接左右するような事柄への関心の高まりは、自分自身の内なる世界へと閉じこもる人々を生み出していくことになった。アートの世界でもまた、こうした個人的なこだわりを大切にしながらかたちにしていくことに価値観が置かれるようになった。いわば「中心」と「周縁」との逆転現象という新しいパラダイムが、アートに表現内容ほ変容をもたらしたのである。」
「ポストモダニズムの自己完結的な価値観を映し出して、一九八〇年前後にはダンス音楽などを中心に、「リミックス」と呼ばれる再編集、あるいは「サンプリング」といった既存の楽曲を自分の作品に潜り込ませる手法、さらには、「リメイク」などが普遍的な「制作」手段として注目されることにはる。「アプロプリエーション」ではあるが、ここでは、「流用」というよりもむしろ「剽窃」をあてはめた方があたっているかもしれない。よく知られている作品のメッセージを下敷きに新たな意味内容を上書きすることで、多くの人々に共有されている作品を改変していくというこうした「シミュレーショニズム」と呼ばれる「流用」を伴う表現は、メディア社会が際限なく拡張していくという意識のなかで広まっていったといえるだろう。
こうしたありようはまた、オリジナリティの概念を変化させていくことになった。ヴィジュアルアートの世界でも、よく知られている既存の「ハイ・アート」作品に敬意を払うことで、「アフター・○○○○」と明示しながら流用することが増えてきた。対象作品が世間によくしられているかどうかということを流用の要件と考えるほど、アーティストの意識が変化したといえるだろう。世の中に広く知られている作品に自らの固有の価値観を強く反映させていく制作手法は、一九八〇年代以降のポストモダンの文化的風土のなかで、シミュレーショニズムの考え方をふまえた主要なスタイルになっていく。そして、こうしたわかりやすいやり方は、一層大衆のニーズに沿った方向へとアートを変容させ、ハイアートとサブカルチャーとの境目を薄れさせてることにもなった。
しかし、既にある事物や作品を流用しながら、そこに新しいメッセージをこめることでもう一つのオリジナリティを求めていくアートの手法は、いうまでもなくシミュレーショニズムによってはじめてもたらされたわけではない。それは、シミュレーショニズムのはるか以前から、ヴィジュアルアート全般にわたっておこなわれていた手法だった。マルセル・デュシャンやパブロ・ピカソに始まり、二十世紀アートを貫いた根本原理といえるだろう。限りない高みに向けてアート表現を変革していくなかで、百年のあいだ継承されてきたたった一つの約束事というべきものなのである。」
「ギャヴィン・タークは一九九一年、一枚の銘板を掲げるだけのきわめてシンプルな作品を提示した。円形の銘板には、青地に白文字で「BOROUGH OF KENSINGTON GAVIN TURK Sculptor worked here 1989-1991(ケンジントン区彫刻家ギャヴィン・タークは一九八九年から九一年までここで制作活動をおこなった)」という言葉が記されている。『洞窟』という概念的なこの作品は、社会とは特段の関わりあいもない、個人にとっての「ここ」を表示しているにすぎない。そして学内からは、これがはたして表現たりうるかという、作品性をめぐっての疑義が提示された。」
「イギリス人は絵を物体としてはみない、ストーリーとしてみる」とタークは述べている。王立美術大学の教員のなかには、壮大なストーリーを内在させるヨーロッパ絵画の伝統的な価値観にこだわり続ける人が少なくないことを、タークは皮肉を込めてこう語った。そして、いまだ「物体」にとどまるこの「銘板」を手がけたのである。」
「このような流用の連鎖は、「戦後」にとどまらず、二十世紀を通じて変遷したさまざまなアートのスタイルを貫く手法として意識されてきたといえるだろう。作品制作での「二十世紀前半のもっとも重要な方法的原理のひとつ」として、一九七〇年代にアートを「引用の織物」と位置づけたのは宮川淳だが、アーティストたちは記号の体系のなかを浮遊しながら、既にある作品からヒントを得、そこに新たなメッセージを付与し続けることで、「引用」を超えた「流用」という「もっとも重要な方法的原理」を二十一世紀の今日まで継承させてきたのである。
(中略)そして「作品」というものは、ここでは相互に流用され消費されていく素材と化していく。どちらが本物でどちらがコピーなのかということを曖昧にしたとされる「シミュレーショニズム」を超えて、もはや「流用」は、作者の濃密なメッセージをアート表現に込めていくうえでの最有力な手法となるにいたったといえるだろう。」