個展「ヒロインズモウコズエンコウズ」

松山賢個展
「ヒロインズモウコズエンコウズ」

2016年4月1日(金)ー17日(日)
午後12時ー7時
月曜・火曜休廊

みうらじろうギャラリー
東京都中央区日本橋大伝馬町2-5 石倉ビル4階
03-6661-7687 
http://jiromiuragallery.com/

レセプションパーティ:4月1日(金)午後7時ー9時

女性を描いた「ヒロイン図」、猫を描いた「猛虎図」、テナガザルを描いた「猿候図」の鉛筆画、色鉛筆画、水彩画、油彩画など、30cm程度の小品を中心に約30点展示します。


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「ヒロイン図」
油彩、キャンバス
"heroines card"
oil on canvas
27.3cm×22.0cm (F3)
2016

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by mt_pineart | 2016-03-28 21:55 | exhibition | Comments(0)

グループ展「ART of ULTRAMAN」

ウルトラマンの展覧会に出品します。

「Art of ULTRAMAN ウルトラマン×新宿タカシマヤ」
http://m-78.jp/news/n-3691/

2016年4月13日(水)ー 25日(月)
午前10時ー8時(金・土は午後8時30分まで、最終日25日午後4時閉場)
新宿高島屋10階美術画廊
http://www.takashimaya.co.jp/shinjuku/event3/index.html

出品作家:井上裕起、大森暁生、北川宏人、坂口健、澁谷忠臣、 
瀧下和之、田中武、富田菜摘、永島千裕、増田敏也、松浦浩之、
松岡ミチヒロ、松山賢、三瀬夏之介、宮岡貴泉、山本太郎
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by mt_pineart | 2016-03-28 21:54 | exhibition | Comments(0)

月刊アートコレクターズ2016年4月号

4月の個展情報が掲載されています。
http://www.tomosha.com/collectors/7640
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by mt_pineart | 2016-03-25 20:17 | 掲載記事 | Comments(0)

「美学への招待」佐々木健一著より 2

「ルネサンスの時期に、造形藝術家たちが社会的に低い地位しか与えられず、かれらの強い自負の気持ちと激しい葛藤を生み出したことはよく知られています。それというのも、かれらの仕事が手の、そして肉体の仕事と見なされたからです。造形藝術の精神性を認知することによって、近代的な藝術概念が確立したのですが、それもある意味で、同じ区別もしくは差別を展開したものにほかなりません。精神的な「藝術」は、ただ肉体的な「職人仕事」との区別によってのみ、そのハイ・カルチャー(上級文化)としてのステイタスを得た、と言えるからです。」

「一目見ただけで、これは藝術ではない、と斥けるのは、ある既成の美学的概念に囚われているからです。まずは、子供のようにそのおもしろさを受け容れてみるのが、よいのではないか、それがしなやかな応答を論じてきた理由です。しかし、それだけでは知覚レベルを超えてゆくことはできません。現代の藝術が、一面で知覚的な探求の領域を広げながら、他方では藝術とは何かという哲学的な(言い換えれば美学的な)次元に入り込んでいることは、否定できない事実です。」

「ダントーの論文「アートワールド」(1964年)は、「永遠の藝術」について可能であったようなタイプの定義、すなわち、藝術作品そのものの特徴や、作品とひとや社会との関係などを指摘することによって行う定義が、もはや不可能になった、という事実を出発点とします。事実、『モナリザ』とデュシャンの『泉』をともに満足させるように定義することは、ほとんど絶望的です。そこでダントーの提出したテーゼは、《何が藝術であるかは、アートワールドが決める》というものです。この「藝術界(アートワールド)」とは、藝術に携わる専門家たちの集合体のことです。すなわち、藝術家、評論家、学者、ジャーナリスト、美術館の学芸員たちが、この「アートワールド」の住人たち、ということになります。」

「アートワールドの住人たちにしても、またとくに、藝術の愛好家にしても、永遠派と現代派は、重なり合うところが少なく、両者は、ステーキ派とヴェジタリアンほどに異質という印象を与えます。熱狂的なのは現代派で、かれらは永遠の藝術を嫌っているのではないか、とさえ思われることがあります。そして、大衆は永遠派です。総合すると、昔の藝術の高い人気、現代藝術の不人気という顕著な事実に加え、現代藝術が少数だがマニアックな愛好者(とくにコレクター)によって支えられる、というアートワールドの狭隘化の事実が浮かび上がってきます。」

「美術館の成立は、音楽におけるコンサートの定例化、とくに常設オーケストラの組織と対応する出来事と言えます。美術館ができると、そのコレクションにある古典的な作品は、そこに行けばいつでも観ることができるようになります。そこで、新作よりも古典の方がよく知っている、身近だ、という現象が起こってくるわけです。大体、18世紀後半から19世紀前半にかけての時期のことです。」

「ものを作り出す仕事のなかで、実用目的をもたず(あるいはそれを最も重要な目的とせず)、したがって、とくに現実世界のすがたを再現する類のもののうちー藝術の古典的な定義は「自然模倣」という説です−、背後に精神的な次元を隠し持ち、それを開示することを真の目的としている活動が、藝術です。(中略)作者にしても観賞者にしても、その意識の焦点は、作品の表層から深層へと移行します。それまでこだわりなく愉しんでいた表層について、その根拠を求めるようになります。主役が作品から作者へと移ります。藝術家は典型的な天才として、人間の創造力 ーそれは近代という時代のキー・ワードですー を体現するスターになります。ただし、その創造力は理論と一体のものでありますから、これは理論の、つまり美学の時代とも言えるわけです。」
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by mt_pineart | 2016-03-14 13:09 | 本の抜き書き | Comments(0)

「ピカソは本当に偉いのか?」西岡文彦著より

「絵画が「美術品」に変わる時
 近代以降の美術の最大の特徴は、それ以前の美術が担っていた実用的な機能というものを放棄してしまった点にあります。
 かつて絵画には、そこに描かれたものを通して、人々になにごとかを伝達するという社会的なコミュニケーション手段としての機能が備わっていました。」

「革命政府が王室コレクションを開放し、これを市民のための美術館と称してみても、来場する市民の側は、そもそもそうした美術品と日常的に向かい合い、それを鑑賞吟味できるような生活習慣の余裕というものを持っていなかったのです。
 加えて、先にも述べたように、美術館というものには絵画や彫刻をその本来の制作目的であった用途から切り離して陳列する作用がありますから、美術品に直面した市民は美術品というものとの初対面を、その制作意図もわからない状態で経験していたことになります。
 フランス革命が一般市民のための美術館を誕生させる以前には、一般の人々が美術品にまとめて接することのできる公共空間は教会しかありませんでした。」

「美術や音楽の理解というものは、その本質において特権的な側面を持っています。
 審美的な時間を持つ余裕のある生活のみが、その理解を可能にする能力を育むことができるからです。無論、視覚や聴覚に訴える芸術ですから、感覚や直感で判断し感受できる部分もあります。しかし、作り手もそれなりに意匠を凝らしているわけですから、そうした印象評価のみでは、その滋味の神髄を味わうことはできません。」

「今日からすると意外な感もあるのですが、この新聞雑誌において大きな人気を誇っていたのが美術批評でした。王室コレクションが開放されて美術館に展示されたものの、その鑑賞法がよくわからず、公募展のサロンに出かけてみても審査ができるほどの鑑賞のキャリアを持たない市民階級の人々は、そうした美術品の指南を活字文化の中に見いだそうとしたからです。
 (中略)
 この批評の影響力を利用することを考える画家が登場するのは、時間の問題でした。」

「(ピカソが)富豪の身でありながら貧乏を装うのは清貧とは対局に位置するもので、むしろ「ブルジョワ的偽善の最たるもの」ともいえますが、芸術家や知識人には現在でもなお、こうした野方途な生活を魂の純潔の証と見る傾向があります。
 フランス革命直後のロマン主義という芸術思潮が、そうした生活様式を芸術家の理想としたからであり、今なお芸術家の理想像というものは、このロマン主義的芸術家像を規範としているからです。」

「なにより重要なことは、ダーウィンの進化論によって、変化するということが「向上」を意味し始めたことと、その変化による「生存競争」の概念が定着したことにありました。つまり、時代の変化に乗り遅れたものは生き残れない、という今日では自明と思われている考え方が定着することになったわけです。
 この進化論ほど、前衛という概念に根拠を与えるものはありませんでした。
 それは、変化というものが、生存を賭けた闘いにおいては正義と同義であると主張するに等しい論理だったからです。そして、美術もまた、適者生存の原理に従い、変化しないことには未来に向けてその生存を確保できないと考えられるようになったのです。
 かくして、革新的であることが時として「美しい」ということさえ凌駕する、「前衛」に特有の美意識が確立されることになりました。「芸術が生きのびるためには美が死ななくてはならない」という倒錯した論理に、「科学的」な根拠があたえられることになったのです。」

「(「アヴィニヨンの娘たち」は)ピカソ全作品中でもっとも自己言及的、つまりは絵画のありようを絵画そのもので語るという「自分語り」性の濃厚な作品といえます。」

「美術館が、美術品から用途を切り離して成立していることから、美術は、実作においても批評においても、用途から切り離れたところでしか、美術館に入るための「偉大」さというものを獲得できなくなっているからです。
 したがって、ピカソの実験的な作品に限らず、自己言及的な作品ほど偉大とされるのは、おかしいどころか、むしろ必然的な結果であることになります。」
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by mt_pineart | 2016-03-13 10:22 | 本の抜き書き | Comments(0)

earthenware

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「土器」陶、高さ32cm、1996、松山賢
"earthenware" ceramic, heigt 32.0cm, 1996, MATSUYAMA Ken





新宿高島屋の展覧会に出品しています。

「縄文ALIVE」

2016年2月24日(水)ー3月7日(月)
午前10時ー午後8時(金・土午後8時30分)
新宿髙島屋10階美術画廊
http://www.takashimaya.co.jp/shinjuku/event3/index.html

出品作家:岡本 太郎、金 理有、小林 武人、澁谷 忠臣、高山 大、竹内 啓、鶴田 崇、
松山 賢、向山 裕、X-SENSE/坂巻善徳 a.k.a.sense & 小林武人

土器7点、油彩5点展示しています。
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by mt_pineart | 2016-03-02 20:11 | works | Comments(0)

土器

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土器

1996
earthenware
ceramic
height 22.5cm




「縄文ALIVE」

2016年2月24日(水)ー3月7日(月)
午前10時ー午後8時(金・土午後8時30分)
新宿髙島屋10階美術画廊
http://www.takashimaya.co.jp/shinjuku/event3/index.html

出品作家:岡本 太郎、金 理有、小林 武人、澁谷 忠臣、高山 大、竹内 啓、鶴田 崇、
松山 賢、向山 裕、X-SENSE/坂巻善徳 a.k.a.sense & 小林武人

レセプション:2月26日(金)午後5時から

土器7点、油彩5点出品します。
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by mt_pineart | 2016-03-02 20:10 | works | Comments(0)