美術手帖2013年3月号 清水穣展評 早川祐太展

「オブジェに日用品、映像や写真や装置が、ホワイトキューブ空間の中に適宜配置されて、意味が有るような無いような雰囲気を醸し出す「インスタレーション」は、もはや見慣れた現代美術の制度であり、様式である。それぞれに「美術史を参照」「脱力系のユーモア」、作品を「読む」「理解する」行為への「肩すかし」・・・があったりするらしいが、結局のところ美術という制度の内部でその制度からの自由を演出する胡散臭さ(教師が先導する自由)、言い換えれば、インサイダーのあいだでのみ成立する誰も負けないゲーム(民主的啓蒙)の退屈さが拭えないのが常である。

・・・・・素材の特性に、造形の問題をまるごと委ねてしまう感性が、美術史だの日常だの脱構築だのといった文脈の侵入を潔く遮断し、そこに凡庸な現代美術の「インスタレーション」との相違がよく現れていた。」
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by mt_pineart | 2013-04-30 02:27 | 本の抜き書き | Comments(0)

フランシス・ベーコン展図録「フランシス・ベーコンとフリードヘルム・メネケスの対話」より

M:あなたの作品の中で、一貫して強烈に見えてくる要素は暴力です。あるいは暴力的な状況といってもいいかもしれませんが。

B:その暴力とは一体なんなのでしょうか。あなたも毎日、新聞を読むでしょう。私たちの普段の生活の中で毎秒といってもいいほど起きている暴力ほど、私は暴力的ではありません。誰もが私の作品の暴力性を語ります。皆この日常生活については考えていないのです。まったくもって馬鹿げた話です。何も暴力について解っていないのです。芸術は生活から切り離されたものではありません。でも、実際の現実世界での暴力をそのまま表現することはできないでしょう。どのみち芸術における暴力というのは何かまったく違ったものなのです。それはテクニックに由来するもので、そこに表現されたものに因るわけではありません。だから多くの絵というのは何の役にも立っていませんね。

M:それでは描くときは、暴力を被ることと向き合っているのでしょうか。それとも暴力を振るう方の立場になるのですか。

B:私は暴力については考えません。可能な方法でイメージを強く描こうとするだけです。

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M:人生は殺すか殺されるかどちらかしかないとお考えなのでしょうか。

B:そんなことはないでしょう。ほとんどの人間は、人生成り行きに身を任せています。皆あてどなく漂っているのです。私は人生なんて無意味な出来事だと思います。たとえ何か自分自身にとって意義のあるものを生み出すことができたとしても、そんなことに意味はないのです。その生み出す行為は自分自身でやるしかないことです。
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by mt_pineart | 2013-04-30 02:14 | 本の抜き書き | Comments(0)

暮らしと美術と髙島屋

「暮らしと美術と髙島屋」展開催記念
『たかしまやアートウォーキング』
―暮らしにアートをー

2013年4月24日(水)ー5月7日(火)
新宿タカシマヤ1階ザ・メインスクエア
http://www.takashimaya.co.jp/store/special/artwalking/index.html?=top#setagaya

LPジャケット、アクセサリートルソに作品を描きます。
出品作家:
松山賢、藤井健仁、笠原出、カンノサカン、中村ケンゴ、重野克明、住吉明子、関本幸治、石塚隆則、田中武

同会場にて、大森暁生(10階美術画廊にて個展開催)、小松宏誠、川久保ジョイの作品展示もあります。

こちらの出品作品などあります。
http://www.facebook.com/events/116946188504195/116946191837528/?notif_t=like
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by mt_pineart | 2013-04-23 19:36 | exhibition | Comments(0)

(書評)『世界で一番美しい名画の解剖図鑑』 カレン・ホサック・ジャネスほか〈編著〉より

「拡大された部分に私たちは何を見るのか。そこにあるのは物質としての絵の具のかたまりや筆跡でしかない。これはもはや絵ではない。絵かもしれないが抽象形態としての色の痕跡のようなものだ。そう考えるとどんな写実的な絵も抽象の累積にすぎない。つまり私たちが見ているのは図像としてのイメージではなく単に絵の具であることに気づく。 」

(書評)『世界で一番美しい名画の解剖図鑑』 カレン・ホサック・ジャネスほか〈編著〉
横尾忠則
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by mt_pineart | 2013-04-21 17:09 | 本の抜き書き | Comments(0)

添田唖蝉坊、知道展、神奈川県立近代文学館

自転車で添田唖蝉坊、知道展、神奈川県立近代文学館へ行く。演歌師の草分け。高田渡のレコードで中学生のころに知った。
http://www.youtube.com/watch?v=3lgxJnBbxMc&playnext=1&list=PLGqYR2fK03wEuCk3CaEucUzX-KvvcITWE&feature=results_video

岡林信康の「くそくらえ節」なども、添田の「○○節」から、時局を読み込むことも含めてきているんだろうと考える。これも中学生のころによく聴いていた。http://www.youtube.com/watch?v=kv03261ldZ0

壮士節、演説歌から演歌へという自由民権運動の政治風刺の辻で歌う歌で、いまでも比較的、耳馴染みのある唄は、サビのパロディがCMにも使われることのある「東京節」か。
http://www.youtube.com/watch?v=flKG0-wYzFg

「東京節」唖蝉坊の息子知道16歳の作詞。ヘンリー・クレイ・ワークの曲に歌詞をつける。高田渡は、ウディ・ガスリーなどの曲に自分の歌詞をつけて、なぜかレコードのクレジットは自身が作曲者に
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=46mO7jx3JEw#
http://www.youtube.com/watch?v=5twAMCJkHzA
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by mt_pineart | 2013-04-10 00:40 | 見にいく | Comments(0)

美術手帖2013年3月号「フランシス・ベーコンとは何者だったのか?」より

「桝田:(略)その中で彼は、「イメージと絵具の塗り(=ペイント)が、完全に結合していく」と書いている。絵具でありながら、同時にイメージでもある。その逆もまたしかり、というようなことを言っているんですね。確かにそれはスミスの作品を賞賛するための言葉なのですが、そのままベーコンの絵画にあてはまるところがあると思います。つまり、単にキャンバスに撫でつけられた絵の具でしかないものが、人間の身体を表しているように見えてしまう、そんな奇跡的とも言える現象に対する驚きに敏感だったことが窺えます。物質的なもんである絵具と、ある意味で非物質的なものであるイメージの、のっぴきならない関係性に対して非常に意識的な人だったと思うんです。」
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by mt_pineart | 2013-04-08 22:56 | 本の抜き書き | Comments(0)