ー現代美術は今ー SEVEN TYPES 松坂屋名古屋店

ー現代美術は今ー SEVEN TYPES

2013年2月13日(水)ー2月22日(金)
松坂屋名古屋店 南館6階美術画廊 
展示写真

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by mt_pineart | 2013-02-24 22:41 | 展示風景 | Comments(0)

「ダダー前衛芸術の誕生」 マルク・ダシー著、藤田治彦監修、遠藤ゆかり訳


「こうした無意識の過大評価は、おそらくシュルレアリスムの根本的なまちがいだといえる。ツァラは限定的にしか、無意識に関心をいだかなかったからである。彼は無意識あるいは狂気の魅力に、安易な感傷がひそんでいるとしてそれを恐れた。チューリヒの画家、彫刻家、写真家、映画製作者が材料を具体的に切りとり、組みたて、貼りあわせることで、ピカソが「現実の極み」とみなしていた抽象的な段階に到達していたように、彼は言語を物質的に理解していたのである。」

(モーリス・バレスの模擬裁判について)
「ツァラは巧みに、この裁判を嘲弄しはじめた。(中略)
 予期しない展開に困りはてたブルトンは、やむなくツァラにこういった。
 「証人は、まったくの愚か者とみなされたいのですか。それとも精神病院に入れられたいのですか」
 ツァラは答えた。「はい。私はまったくの愚か者とみなされたいのです。でも私が人生を過ごしている収容所から逃げ出したくはありません。」
 ある意味で、この言葉はブルトンとツァラの本質をすべてに物語っている。ダダが掲げた「純粋な愚かさ」は、あらゆる統制を拒否するものだったのである。」

「固い友情を結んだはずのツァラとブルトンだったが、アメリカの作家ウィリアム・S ・バローズの言葉を借りれば、「どこでもないところから来た男」であるツァラは、ブルトンにとって自分の計画をおびやかすただひとりの男になってしまったのである。ブルトンの友人アラゴンは、1970年代になってこう告白している。「ダダのグループ内の論争を、私たちがそれについて考えていたものを考慮せず、モダニズムの一種の民主主義として大勢のジャーナリストや芸術家たちに示したブルトンは、ダダの歩みを根本的に妨げていた。」
 
「ダダが終焉したのは、公式には1923年の夏のことだが、ツァラにとってはすでにこの時期、なにかが終わっていた。いずれにせよ1922年9月にドイツのイェーナとヴァイマールで行われた「ダダに関する会議」のとき、彼はダダの死を宣言し、モダニズムに対する敵意をふたたび強調している。
 「ダダはモダンなどではまったくありません。むしろ、ほとんど仏教的な無関心の崇拝への回帰だといえます。(後略)」

(イベント「ひげの生えた心臓の夕べ」について)
「この大騒動によって、1920年以来つづいてきたツァラとブルトンの友情と闘争の歴史は終わりを告げた。すでにダダによってもたらされたあけすけな自由は煙たがられ、社会的成功のためには有害な存在とみなされるようになっていた。」

「ブルトンはダダの二番煎じである新しいグループを結成し、雑誌「シュルレアリスム革命」を創刊した。(中略)その後11月に、ブルトンは「シュルレアリスム宣言」を出版している。同じ宣言でありながら、ダダ宣言とシュルレアリスム宣言のあいだには大きな違いがある。ダダ宣言はまさしくダダそのものだったが、シュルレアリスム宣言は少しもシュルレアリスム(超現実主義)的ではなく、すばらしく見事だが月並み言葉で書かれた文学理論だった。
 それにいらだったピカビアは(中略)「ツァラは、スイスで非常に個性的な作品を書いていた。ブルトンはそれを平然と利用し、その一方でジッドの足元にひれ伏し、プレーズ・サンドラールにも投資していた。(略)彼ら(ブルトンたち)の作品はダダのあわれな模造品で、彼らのシュルレアリスムもまさしく同じ種類のものである。(略)ブルトンはいわば、手品師たちの芝居ですべての主役をはりたい役者なのだ。」

トリスタン・ツァラ「ダダ宣言1918」
「良い絵にせよ悪い絵にせよ、カンバスが知的資本の投資のために用意されていることに変わりはない。新しい画家は、その構成要素が手段でもある世界を、論拠のない簡素で明確な作品を創造する。新しい芸術家は抗議する。新しい芸術家はもはや描かず/象徴的で錯覚を起こさせる模写はせず/一瞬の感覚から生じる透明な風によってあらゆる方向に向きを変えるような動く有機体を、石、木、鉄、錫、岩で直接つくる。ー絵画や彫刻作品は、いっさい必要ない。それが卑屈な精神を怖がらせる怪物で、人間の格好をした動物たちの食堂を飾る甘ったるいもの、人間性の寓話の挿絵ではなくても。」
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by mt_pineart | 2013-02-17 18:05 | 抜き書き | Comments(0)

「流用アート論」小田茂一

 「今日につながるこのアートのスタイルは、まず既製品を流用する「レディ・メイド」や印刷物の断片を流用する「コラージュ」作品から始まり、大量消費される「日用品」や「工業資材」、「場」「身体」「写真」「名画」「情報」「廃棄物」、そして自分自身を流用して何者かになりきることなど、あらゆるものを流用するという手法によってメッセージへと置き換えるさまざまな表現を通して展開されたのである。」

(古代ギリシャのゼウクシスがカーテンを書いたパラシオスに布をのけて「作品」を見せるように求めた逸話より)
「このエピソードから、目の前のものを忠実に再現するのか、あるいは自らの観念世界を表出するのかという、二人の絵画表現への考え方の違いは明白である。絵画は「何」を描出できるのかということと、「どういうふうに」表現するのかといいいのかということについて、二人の意識の差異の大きさを象徴的に表しているといえるだろう。

「このことでジョーンズが一貫して提示したのは、絵画の平面性である。そして、誰にもわかりやすい具体的なものを通じて可視化しようと流用されたのが、星条旗やダーツの標的といったモチーフだった。この表現をとおしてジョーンズは、遠近法や色調の明暗やコントラストによって平面上に三次元的な空間をイメージさせるルネサンス期以来の絵画のイリュージョンを否定した。そして二十世紀絵画の平面性追求の仕上げをおこなったといえるだろう。」

「フルクサスのメンバーは、アーティスト個人の意識のなかだけでは完結することがないこうしたインタラクティブな要素の作品化に、積極的に取り組んだ。思いつきを実際に完結させるためには、強い意志が求められる。そうした作品づくりにまじめに取り組んだのが、フルクサスのイヴェントといえるだろう。フルクサスの創始者ジョージ・マチューナスは、「フルクサスとは良質のギャグ以上のものとは思っていない」と述べている。」

「「これは芸術なんかではありえない」と世の中の大部分の人が見なしているなかで、「わたしは芸術よ」と主張しながら、どんどん説得力を増してきたのがポップ・アートであると、フランスの美術批評家ロラン・バルトは指摘している。このプロセスは、一九六〇年代に音楽の世界でロックが世間に受け入れられていった現象と同時進行的であるように思われる。そこで起こっていたのは、それまでには考えられなかったような、価値観の逆転あるいは倒錯である。バルトによれば、アートの表現内容をめぐって、「あなたが崇めていたものを焼き捨てなさい。あなたが焼き捨てていたものを崇めなさい」という逆転が起こったのだという。」

「大量に印刷されてマンガの一コマを流用してアート表現に置き換えたロイ・リキテンスタインもまた、作者としての立場から「ポップの特徴は何よりも無視されていたものを利用することである」と述べている。人々がこれはアートではないとするものに目を向け、そこに新たな価値を見出すことこそが、アーティストの使命なったのである。そしてこのことは、ハイ・アートという概念をも否定するアートのボーダレス化を用意したといえるだろう。また、既にあるものをベースとするポップ・アートというスタイルは、どこまでがアートでどこからがそうでないのか、という区切りそのものをもボーダレス化する大きなきっかけになった。」

「一方、ポストモダニズム社会では、人々の意識は大量消費社会がもたらしたような疎外感ではなく、日々の行き方や身辺との関わりのなかでの、手の届きやすい個人的な事象へと向かうことにはった。大量消費社会の終焉後を生きる自らの行き方や暮らし向きを直接左右するような事柄への関心の高まりは、自分自身の内なる世界へと閉じこもる人々を生み出していくことになった。アートの世界でもまた、こうした個人的なこだわりを大切にしながらかたちにしていくことに価値観が置かれるようになった。いわば「中心」と「周縁」との逆転現象という新しいパラダイムが、アートに表現内容ほ変容をもたらしたのである。」

「ポストモダニズムの自己完結的な価値観を映し出して、一九八〇年前後にはダンス音楽などを中心に、「リミックス」と呼ばれる再編集、あるいは「サンプリング」といった既存の楽曲を自分の作品に潜り込ませる手法、さらには、「リメイク」などが普遍的な「制作」手段として注目されることにはる。「アプロプリエーション」ではあるが、ここでは、「流用」というよりもむしろ「剽窃」をあてはめた方があたっているかもしれない。よく知られている作品のメッセージを下敷きに新たな意味内容を上書きすることで、多くの人々に共有されている作品を改変していくというこうした「シミュレーショニズム」と呼ばれる「流用」を伴う表現は、メディア社会が際限なく拡張していくという意識のなかで広まっていったといえるだろう。
 こうしたありようはまた、オリジナリティの概念を変化させていくことになった。ヴィジュアルアートの世界でも、よく知られている既存の「ハイ・アート」作品に敬意を払うことで、「アフター・○○○○」と明示しながら流用することが増えてきた。対象作品が世間によくしられているかどうかということを流用の要件と考えるほど、アーティストの意識が変化したといえるだろう。世の中に広く知られている作品に自らの固有の価値観を強く反映させていく制作手法は、一九八〇年代以降のポストモダンの文化的風土のなかで、シミュレーショニズムの考え方をふまえた主要なスタイルになっていく。そして、こうしたわかりやすいやり方は、一層大衆のニーズに沿った方向へとアートを変容させ、ハイアートとサブカルチャーとの境目を薄れさせてることにもなった。
 しかし、既にある事物や作品を流用しながら、そこに新しいメッセージをこめることでもう一つのオリジナリティを求めていくアートの手法は、いうまでもなくシミュレーショニズムによってはじめてもたらされたわけではない。それは、シミュレーショニズムのはるか以前から、ヴィジュアルアート全般にわたっておこなわれていた手法だった。マルセル・デュシャンやパブロ・ピカソに始まり、二十世紀アートを貫いた根本原理といえるだろう。限りない高みに向けてアート表現を変革していくなかで、百年のあいだ継承されてきたたった一つの約束事というべきものなのである。」

「ギャヴィン・タークは一九九一年、一枚の銘板を掲げるだけのきわめてシンプルな作品を提示した。円形の銘板には、青地に白文字で「BOROUGH OF KENSINGTON GAVIN TURK Sculptor worked here 1989-1991(ケンジントン区彫刻家ギャヴィン・タークは一九八九年から九一年までここで制作活動をおこなった)」という言葉が記されている。『洞窟』という概念的なこの作品は、社会とは特段の関わりあいもない、個人にとっての「ここ」を表示しているにすぎない。そして学内からは、これがはたして表現たりうるかという、作品性をめぐっての疑義が提示された。」

「イギリス人は絵を物体としてはみない、ストーリーとしてみる」とタークは述べている。王立美術大学の教員のなかには、壮大なストーリーを内在させるヨーロッパ絵画の伝統的な価値観にこだわり続ける人が少なくないことを、タークは皮肉を込めてこう語った。そして、いまだ「物体」にとどまるこの「銘板」を手がけたのである。」

「このような流用の連鎖は、「戦後」にとどまらず、二十世紀を通じて変遷したさまざまなアートのスタイルを貫く手法として意識されてきたといえるだろう。作品制作での「二十世紀前半のもっとも重要な方法的原理のひとつ」として、一九七〇年代にアートを「引用の織物」と位置づけたのは宮川淳だが、アーティストたちは記号の体系のなかを浮遊しながら、既にある作品からヒントを得、そこに新たなメッセージを付与し続けることで、「引用」を超えた「流用」という「もっとも重要な方法的原理」を二十一世紀の今日まで継承させてきたのである。
  (中略)そして「作品」というものは、ここでは相互に流用され消費されていく素材と化していく。どちらが本物でどちらがコピーなのかということを曖昧にしたとされる「シミュレーショニズム」を超えて、もはや「流用」は、作者の濃密なメッセージをアート表現に込めていくうえでの最有力な手法となるにいたったといえるだろう。」
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by mt_pineart | 2013-02-14 05:30 | 抜き書き | Comments(0)

松坂屋名古屋店 ー現代美術は今ー SEVEN TYPES

グループ展に出品しています。
 
ー現代美術は今ー SEVEN TYPES

2013年2月13日(水)ー2月22日(金)
午前10時~午後7時30分 
*最終日は午後4時閉場

松坂屋名古屋店 南館6階美術画廊 
TEL052-264-3383(第1画廊直通)
http://interior-art.weblogs.jp/blog/2013/02/post-5b43.html
http://www.matsuzakaya.co.jp/nagoya/garou/

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by mt_pineart | 2013-02-13 15:02 | 展覧会予定 | Comments(0)