カテゴリ:本の抜き書き( 87 )

美術手帖2017年3月号「キャンバスを打ち破る、現代の女性ペインターたち」より





「ー 今、日本では、ドキュメンタリーや、プロジェクトベースの作品ほどには、絵画は注目されないのです。そのなかで絵画の意義を信じて描いていくことはできるのでしょうか。

まず、自分がしていることは、注目されているかどうかにかかわらず、やり通さねばならないということです。他人の評価を気にせず、自分のやるべきことをすべきです。何かヴィジョンがあれば、まず描かなくてはなりません。」

エリザベス・ペイトン、インタビュー
聞き手・文、松井みどりより



「いつも制作の際に考えていることは、絵画が絵画であると同時にコンセプチュアル・アートである、ということです。『ギャラリー』と名づけられた空間をある意味で解体し、インスタレーションあるいは社会的な空間として、建築的に空間全体にアプローチすることで、質的にも芸術的なものへと統合させたいと考えています。その時、絵画は異国趣味の装飾的一要素を担うと同時に、私自身の考えや長い歴史を持つ文化的アイデンティティーをも代理表象します。」

ソル・カレロ、インタビューより



「いまアーティストたちはコンセプチュアル・アートと絵画を自覚的に組み合わせて、文化をめぐる国際的な議論や、より幅広い世界の問題につなげ、頭のいい作品をつくっています。(中略)
 ただ、絵画はいまでも現代美術の中心とはいえ、ひとつの媒体(メディウム)だけ研究していると過去50年間の美術が理解できなくなってしまう。たとえばリュック・タイマンスは、戦後ヨーロッパ映画や記録写真のことをよく知らなければアプローチできません。あるいは、ケルスティン・ブレッチが2010年に発表した紙ベースのペインティングは、デジタルツールを使ってどういう制作が可能か、少なくともひととおり知っていなければ理解できません。しかもアーティストたちはたいていあらゆる種類のアートを見ているし、ひとつの媒体だけにこだわることは少ない。いやしくも現代美術のキュレーターを名乗るなら、自分の時代の美術に媒体に関係なく親しまないといけない。」

「90年代後半具象絵画が盛りあがってきて、私もはまりました。これは直前の動向である観客参加型コンセプチュアリズム、いまで言う「関係性の美学」の拒絶だった。」

MOMAキュレーター、ローラ・ホプトマン、インタビュー、中野勉翻訳より



「戦後から1950年代にかけてキュビスム風の静物画を起点として抽象的還元を推し進め、60年代にはトレードマークとなった「ストライプ」シリーズを確立、その後も「グリッド」や「モノクローム」といったテーマを通じてミニマルな抽象画を量産したかと思うと、70年代後半からは世界的な「絵画の復権」に同調するかのように、色彩や筆触を強調したペインタリーな大画面へと変節を遂げるー「孤高の画家」というイメージとは正反対に、当時の流行の変遷をほぼ正確に反映していた山田の全仕事を見渡したとき、そこに表出している大きな問題は、山田個人の思想や作品についてではなく、戦後日本におけるモダニズム絵画受容の奇妙な「屈折」そのものであることは言うまでもない。」
「本展では、生前に山田が残した膨大な「制作ノート」も展示され、全体のキュレーションもまた、「制作ノート」で構想されている「円環」をなぞるように設計されていた。しかし山田によって事後的に、何度も何度も修正されたという「制作ノート」に書かれているのはまさに、彼が捏造したかったモダニズム絵画の歴史である。」

「endless 山田正亮の絵画」展、黒瀬陽平 評より



「(前略)作品を読解するコードを、ほとんどの作品がさほど強く要求していないので、観る側はコードを共有しない限り理解できないのだ。
 このことは、現代美術なるものがしばしば要求する、コンテクストの敷居の高さとは少し事情が違うように思う。(後略)」

「BARACKOUT/バラックアウト」展、土屋誠一 評より



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by mt_pineart | 2017-08-08 17:56 | 本の抜き書き | Comments(0)

「ピカソになりきった男」ギィ・リブ著、鳥取絹子訳より

「俺は情熱を持って、独学で、粘り強く勉強した。たとえば、ある画家に興味を持つと、その画家に関するものはすべて読みつくさないと気がすまなかった。」

「一般に絵の愛好家は、アーティストに対してロマンチックすぎるイメージを持ち、アトリエに閉じこもる孤独な天才が、ひとりで創造の苦しみと向き合っていると思うことが多い。ところが実際は、美術史で紹介されている作品もそうだけれど、アトリエでは大家とその助手たち、たとえば弟子に囲まれているレンブラントのように、共同で作業が行われている。キュビズムを創始した二人の画家、ジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソにしても、一部の作品では一緒に仕事をしていた。」







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by mt_pineart | 2017-03-29 00:59 | 本の抜き書き | Comments(0)

「堤清二 罪と業 最後の「告白」」児玉博著より

「当時、清二は東大の同級生だった氏家齊一郎(元日本テレビ放送網会長)にオルグされ、渡邉恒雄(読売新聞グループ本社主筆)らとともに共産党の”細胞”として活動していた。」

「「楯の会の制服は西武百貨店で拵えたんですよ。良いデザインを探していた三島さんから連絡があり、『フランスのドゴール(大統領)の軍服のデザインが良いから、誰がデザイナーか調べてくれ』と連絡があったんです」
 当時、西武百貨店のヨーロッパ駐在部長としてパリに滞在してたのが、妹の邦子だった。問い合わせた邦子からの答えに、清二は驚いた。ドゴールの軍服をデザインしたのは日本人で、しかも西武百貨店に在籍しているという返事だったからだ」




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by mt_pineart | 2017-03-29 00:58 | 本の抜き書き | Comments(0)

「人類と芸術の300万年 デズモンド・モリス アートするサル」デズモンド・モリス著、別宮貞徳監訳より

「知られるかぎり世界最古のアート作品の話をしよう。その昔、水面下から自分を見つめる奇妙な顔を見つけた。川床には小石がたくさんあり、どれも水の流れで表面がすり減ってなめらかになっていたが、この石はちがう。人間の頭のような形で、すべすべした表面にはまぎれもなく顔のパーツが現れている。(中略)そこで住みかの洞窟まではるばる持って帰り、とっておく。小石はそれからずっと洞窟で眠っていたが、300万年後に化石を掘っていた人類学者に発見された。
 このたぐいまれな石は今日ではマカパンスガットの小石と名づけられ、知られるかぎり世界最古のアート作品である。猿人がこしらえたという証拠はどこにもないが、住居の洞窟の中にあったのだから、大切なものと考えていたのはまちがいない。世界でいちばん古い小間物、収集品、発掘物である。持ち主は、まだ完全な人間ではない。類人猿と人間の中間の動物のグループに属するアウストラロピテクスだった。」

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「太古のアートは、神話の細部や部族の歴史など知らなくても楽しめる。印や象徴は、どんなに謎めいていても、それとはかかわりなく私たちの目に訴えるものを持っている。まるで人間という種は、どんな生活環境であろうと、アートがなくては生きていけないかのようだ。」

「1万年前から現在にいたるまでのどの時代を見ても、純粋に機能だけを追求した建物はめったにない。きわめて簡素な個人用の住居でさえ、実用性の域を超えて、美的なデザインや装飾が少しはほどこされている。」

「浮き彫りは世界各地の巨石で見られ、単なる装飾にすぎないのか、それとも何かを象徴しているのか、数多くの議論が交わされてきた。渦巻きや菱形、波線、半円形などのモティーフがとりわけ気に入られていて、少なからぬ地域で抽象模様の一大勢力を形成し、人間や動物の模様を押しのけているように思われる。このことから、抽象模様は象徴的なメッセージを伝えていると考えられるが、どんなメッセージだったのかは知る由もない。」

「先史時代のアートによく見られ、一見すると抽象的な模様の持っている意味を知る重要な手がかりがある。現代のオーストラリアのアボリジニが描いた樹皮絵画である。アボリジニの画家たちは、今日まで生き延びてきた昔ながらの伝統に従って絵を描いている。こういう特殊な状況にあることから、われわれは、画家とじかに話をして、描いた模様の意味を尋ねることができる。すると、驚くべき事実が明らかになる。われわれの目にはまるっきり抽象的な模様が、実は、アボリジニにとって、象徴としてもっとも重要な意味を持っているのであるーむしろ動物や人間の絵のほうが装飾を豊かにするおまけと考えられている。(中略)大昔の巨石群や岩肌に描かれ、抽象的に見える模様には、決して先入観を持たないようにしなくてはならない。」

部族アート三つの特徴
「第三の特徴は、人間はありきたりの持ち物に何らかの装飾を加えずにいられないことー食うや食わずの極貧の生活をしているときでさえそうである。そこには、特別な思想体系も、伝えるべき文化的なメッセージも、仲間を感心させる地位の誇示もない。これぞ芸術のための芸術。単純にして明快。あるものを、機能的な必要性を超えて魅力的に、すばらしくしたいという人間の基本的な欲求を反映している。
 (中略「ケニア奥地のトゥルカナ族の写真」)このような極貧のさなかにあってさえ、人はそれぞれ何かしら美的なふるまいを見せ、アートを求めずにいられないという、深く根を張った本質を、またもや明らかにするのである。」

「北方のネーデルランドでは、ブリューゲルと呼ばれる画家一族が以前よりも親しみやすい農民の暮らしの場面に注目するようになっていた。従来、農民は脇役か見物人としては描かれていたが、構図の中心的位置を占めることはなかったから、これはまさに主題の抜本的進展だった。」

「近代アートー20世紀のアートーを表すのにもっともふさわしい言葉はポストフォトグラフィックアートだろう。(中略)いまや記録する責務は従来の画家の肩から取り除かれたのである。
 このような新しい自由にともなう問題は、どの道を進むべきかをアーティストに示す法則がないということである。(中略)その結果、全体として見ると、20世紀アートはスタイルと短命な運動の混沌たる集合である。」

「21世紀になって、それらのグループを振り返ってみると、小さな理論上のちがいを無視すれば、五つの大きなトレンドがあることがわかる。そのトレンドは、それぞれの仕方で伝統芸術のルールから外れている。要約すると:
幾何学的アート ー自然界からの退却
有機的アート ー自然界の歪曲
非合理的アート ー論理的世界からの退却
ポップアート ー伝統的主題への反抗
イベントアート ー伝統的技法への反抗
これら五つのトレンドに加え、従来の伝統をあきらめないアーティストがいる。
スーパーリアリストアート ーカメラとの競合、である。」

「意味深長なのは、これらのトレンドのほとんどが極端になり、ついにはそれ以上の進化が不可能になる傾向があるという点である。幾何学アートでは、ついにカンヴァスに何も描かれてないところまで行った。有機的アートは何がなんだか見分けのつかないなぐり書きになった。ポップアートではギャラリーの真ん中に廃品が積み上げられた。イベントアートは空っぽのギャラリーが出てくるにいたった。そして表現主義アートは外的世界を正確に写し取ったあまり、それ以上先へは進めなくなってしまった。
 それぞれのトレンドは道の終着点に行き着き、未来はどこか別のところにある。前世紀にあまりに多くのことが試行されたため、いまや未来は個々の奇人の手にゆだねられているように思える。それは、高度に個人的な世界観をもっていて、20世紀に幅広い勝利を収めた表現の自由を求める戦いのことなど顧みずにいられるアーティストである。」

「現代のアーティストはあまりに深く実験に入れこんでいるので、一般大衆にとっては最近の作品を受け入れがたく感じることがしばしばある。21世紀の今日ではなんら論争にならないと思える近代アートの作品も、はじめてお目見えしたときには、気が触れた人間やペテン師の作品だと見られていた。新しいスタイルの近代アートがすぐに認められることはめったになく、もっとも革新的なアーティストの多くは生活にも困った。(中略)彼らは日々の暮らしの中で、実行するのがどれほど困難であろうと、探求するときめたヴィジョンを持っていた。そしてこれもまた、抑えきれない創造力の発揮を希求する人間の衝動を示している。」

ダダイズム
「常識や上品さから離れたこの運動は第一次世界大戦さなかの1916年に始まった。チューリヒ在住の一群のアーティストは、体制側が塹壕や戦いの前線にいる若者たちの無残な死を後押ししているのではないかと恐怖を抱き、基本的に反体制、反権威、反当局、反戦という思想的立場に立つことを決意した。そしてそれを達成するには、権威や正統主義にかかわることは何であれ、嘲笑し、馬鹿にし、広く攻撃することがもっとも効果的だと考えた。
 この運動の強みは、重要なメッセージを持っていることにあった。ー社会が悪くなるとき、責任ある者はそのことを知らされなければならず、言いわけは許されないということだ。ただ、弱点は本質的に反対運動であることだった。悪を攻撃するのは得意でも、その代わりに何か励みになるようなものを持ち出すのはあまり得意ではない。」

レディメイド
「そうしたものを最初にアート作品として提示したのは、風変わりなドイツ人のパフォーマンス・アーティスト、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵夫人である。1913年に、夫人は道で拾った錆びたリングを、ヴィーナスを表す女性のシンボルだと主張した。そして「永遠の装身具」と名づけ、自分がアートだと言えば、アートになると言った。(中略)
 偽名の「R MUTT 1917」は男爵夫人の母国語(Armut、ドイツ語で貧困、欠乏を意味する)の言葉遊びである。この作品は彼女が、会の組織委員会のメンバー、デュシャンに展覧会に出品するように渡したらしい。(中略)
 のちに「泉」が有名になると、デュシャンは自分の考えだったかのように言い出し、限定数のレプリカを作って儲けるようになった。(中略)自分を擁護できないまま、彼女は現代アート史からエアブラシで吹き消されてしまい、デュシャンは彼女のとっぴな小便器「泉」に対する賛辞をすべてひとり占めにした。」


50万年から30万年前、加工された石、赤い顔料の痕跡
「タンタンのヴィーナス」

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世界最古の焼成粘土、2万8000年から2万4000年前
「ドルニ・ヴィエストニッツェのヴィーナス」

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3万2000年前、ホーレンシュタイン・シュターデルのライオンマン
世界最古の動物型キメラ、マンモス牙製、高さ29.6cm
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「パオロッツィが1947年に作ったコラージュ『私は金持ち男のおなぐさみ』は、時にポップアートの最初の真の例証だというレッテルを張られているが、パオロッツィは常に自分の作品はシュルレアリスムだと述べていた。」wikipediaより


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by mt_pineart | 2017-02-23 23:25 | 本の抜き書き | Comments(0)

「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」パット・シップマン著、河合信和監訳、柴田譲治訳より

「わたしが言いたいのは、現生人類は生物史上最も侵入的な生物だということだ。約20万年前アフリカでおずおずと進化の一歩を踏みだして以来、わたしたち現生人類は世界中に広がり、地理的領域を次々と侵略し、新たな生息地を開拓し、いまでは全大陸に生息している。」

「さらにわたしたちは他の動物を家畜化することによって生きた道具を発明し製作することもしてきた。繁殖を制御することで、動物の遺伝子から望ましい形質が現れるようにしたのである。そうすると家畜動物と飼い主である人間との間にはある種の契約、あるいは協定が形成されることになり、わたしたちは家畜化した生物の解剖学的、行動学的能力の助けを得ることができる。」

「わたしが本書で論じるのは、ネアンデルタール人の絶滅は彼らの生息域に現生人類が出現したことが引き金となったという仮説で、かいつまんで言えば、現生人類はこのうえなく適応能力の高い侵入生物であり、現代のわたしたちもこの絶滅が生じた時代の現生人類とまったく同じように行動しているということだ。」

「イヌ属(Canis)の全現生動物であるイヌ、オオカミ、コヨーテ、エチオピアンオオカミ(アビシニアジャッカル)、そして3種類のジャッカルは、野生状態で交雑可能でしかも生殖能力のある子孫を増やせることも問題を難しくしている。つまり最初にイヌが家畜化された後も、イヌの種内に外部からの遺伝子流動があったため、イエイヌの正確な起源の同定が難しいのだ。」

「(前略)『先史芸術家が肉食動物をめったに描かないのは[西ヨーロッパの]上部旧石器時代の化石動物相に肉食動物が少なかったことと関連している。イヌが狩猟民の補助者として人間の家族の一員となっていれば、人間と同じように、絵や彫刻として描かれない(あるいはほとんどない)根拠とならないだろうか?』
 明らかに毛皮を得るために毛皮を剥がれた例外的に多数のイヌか動物の骨が含まれるマンモス骨出土の大型遺跡でさえ、オオカミもイヌも、またホッキョクギツネも芸術の対象にはなっていない。象牙、骨、石、そして焼いた粘土でマンモスやウマ、バイソン、クマ、ネコ科動物、水鳥、ライオン、女性小立像は表現されている。しかしイヌはみつからない。」

「イヌであるということは、すなわち人間とのコミュニケーションが基本であるということであるので、以前わたしが発表した、不確かではあるが興味深いアイデアをここで繰り返しておこう。人間には眼球に一部として、色のついた虹彩を囲む白い強膜があるが、これは際立った特徴だ。(中略)他の霊長類の強膜は暗色で、同じように暗色の皮膚をもちさらに瞼で強膜はほとんどが覆われているため、視線方向を悟られにくい。しかし人間の場合は、白い胸膜に開いた瞼があるので注視している方向が遠方からもはっきりわかり、見ている方向が水平ならなおさらよくわかる。そこで幸島はこうした人間の目の変化は、目で合図を送る効果を高めるための適応だと提案する。わたしは仮説として、5万〜4万5000年前頃、つまり現生人類が初めてユーラシアに侵入した頃に、現生人類の間ではこうした眼球の変異が非常に多く見られるようになったのではないかと考えている。視線方向がわかりやすいことは、オオカミイヌと協力して狩猟をするばあい、非常に有効だった可能性がある。」

「5万年前から今日に至るまで、現生人類が圧倒的な侵入者となり得たのは、家畜化という前例のない多種との連帯形成能力が要因のひとつだったとわたしは考えている。わたしたちはオオカミを家畜化してイヌを生み出し、ずっと後には野生ムフロンをヤギにし、オーロックスをウシに、リビアネコをイエネコに、さらにウマを高速輸送システムに変えた。わたしたちは他の種の形質を借り受ける能力を独力で生み出し、それらを利用して地球上のどんな生息地でも生き残れる能力を身につけた。 
 気候変動と新たな能力を身につけた現生人類の到着が重なりその影響が同時に作用したこと、それがネアンデルタール人絶滅の原因だとわたしは考えている。」

「もうお気づきのことと思うが、わたしたち現生人類の正体は「侵入者」なのである。将来、地球の敵と遭遇したとき、それがわたしたちでなかったとすれば大成功だ。だがそれにはまず、わたしたちの行動を大きく変えていかなければならない。」








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by mt_pineart | 2017-01-31 13:30 | 本の抜き書き | Comments(0)

「ヒト ー異端のサルの一億年」島泰三著

「アフリカ以外の現代人にネアンデルタールの遺伝子が残されていた。(中略)
 しかもその遺伝子の流れは、ネアンデルタールの雄からホモ・サピエンスの雌への一方的なものだった。」

「この裸のサルには、もう一つの相貌があった。顔の皮膚が薄いために、それを動かす皮筋は、多彩な表情を作りだすことができた。」

「ホモ・サピエンスがその起源地から生息地を拡大しようとしたとき、その先には常に、生態系の王者として君臨する王獣ホモ・エレクトゥスと格闘者ネアンデルタールが立ち塞がっていた。」

「最初の出アフリカに失敗したホモ・サピエンスは、10万年前にすでに紅海でカキやその他の貝類、甲殻類などを漁っていたが、ここでは、大型のシャコガイはホモ・サピエンスの到着直後にいなくなっており、ホモ・サピエンスの特徴であるオーバー・キル(資源の回復不能なまでの利用)が起こっていた。この資源利用方式もまた、ホモ・サピエンスがきりもなく、その生息地を拡大しなくてはならない理由だった。」

「土器は煮炊きによって食物を決定的に変えた。土器は消化と衛生の夢を同時にかなえる万能の道具だった。その起源について「最古の土器は日本製」とよくいわれるが、東アジアではほとんど同時期に南中国(18000年前)、シベリアと日本列島(16500年前の青森県大台山元Ⅰ遺跡〜12000年前の愛媛県上黒岩岩陰遺跡)で使われるようになった。それでもメソポタミアの一万年前よりも明らかに古い。」

「イヌの脳は同じ大きさのオオカミの脳に比べて30パーセントほど軽い。野生種のイヌが家畜のイヌになったとき、脳は萎縮した。ではそのとき、ホモ・サピエンスに何が起こったのか?
 3万〜2万年前のネアンデルタールやホモ・サピエンスと比較すると、現代人の脳容量は150cc(10パーセント)も少なくなっている。農耕・牧畜による栄養不足とイヌに精神活動の一部をゆだねたためではないだろうか?
 人類学者たちは、イヌについては「家畜化」と語り、人の側については「自己家畜化」と、あたかもそれが自分で選び取った成果でもあるかのように語る。だが、それは間違いだ。イヌがホモ・サピエンスに家畜化されたように、ホモ・サピエンスはイヌに家畜化されたのだ。」

「表層的な観察では日本社会が「二重構造」に見えるのは、無数の源流を持つ日本列島住民の社会が国家として統一されたのが、稲作文明の流入以降だからである。」





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by mt_pineart | 2017-01-18 21:00 | 本の抜き書き | Comments(0)

「キュレーションの現在 アートが「世界」を問い直す」より

「一番簡単な手法は、人々のモラル観に抵触するようなスキャンダラスなテーマを掲げて、「炎上」させることでしょう。しかし、このいわゆる「炎上マーケティング」は、短期的な注目を浴びることはできても、長期的な、あるいはサスティナブルな価値創造にはまったく向いていません。キュレーションする側も、それを鑑賞する側も、お互いが傷ついて嫌な思いが残るだけです。この「炎上」手法は、あまりにも非生産的なので、即座に却下すべき方法です。では、価値創造のためにはどうすればいいのか。
 新たなる価値を将来に向けて付け加えることをキュレーションの意義とするならば、当たり前のことですが、とにかく勉強すべきです。アートの動向が現在どうなっているのかを把握することは勿論のこと、例えば、現下の社会情勢はどうなっているのか、言論界ではどういった話題が主に議論されているのか、等々、つまりは「現在の風向きを読む」ことが重要です。」
誰もがキュレーションできる時代に 土屋誠一

「あるテーマに沿って過去の作品を選び出し、展示空間に配置するとき、キュレーターは作品及びそれを取り巻く歴史の再解釈から逃れることができません。森羅万象を偏りなく取り上げることは不可能なので、取捨選択の判断をする必要があるからです。私はいま「過去の作品」と述べましたが、大抵の場合、キュレーションが作品に先立つことはないので、たとえコンテンポラリー・アートを扱うときであっても、キュレーターは何らかの歴史を編み直していると言うことができるでしょう。この作業は、キュレーションという営みに特権的なこととは思えません。そもそも歴史研究が絶え間なく歴史を編み直す営為だからです。したがって、キュレーションを介した歴史の編み直しというものを考えるとき、歴史学の知見が助けになると私は考えます。」
歴史を編み直す 桝田倫広

「震災後、キュレーションについて考えるとき、とりわけ「歴史」ということを考えますね。たとえば大正デモクラシーなんかでも、美術だと「自由でいい時代」一辺倒だけど、「自分の欲望を自由に発散してもいい」というその考えが、結局大陸への進出を支えた、という説が、日本近代史では出てきている。」
ディスカッション 日本からキュレーションの未来を考える 蔵屋美香
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by mt_pineart | 2016-12-30 00:29 | 本の抜き書き | Comments(0)

クラシックの迷宮 - 柴田南雄とオイルショック - NHKFM 片山杜秀より

「石油ショック前というのは、スタイルの新しさやテクニックの複雑さや、そういうものを追求していれば、それで音楽は、現代音楽というものは進歩しているということになって、聴衆もそれをわかって当然で、聴衆もわからないと恥ずかしいというそういう進歩主義に支えられた前衛音楽の価値観というものが当たり前のように幅を利かせていたわけです。これは人類の進歩、産業文明の革新のイメージとパラレルだったわけです。けれども、その価値観といいますか信仰が、石油ショックでガラガラと音を立てはじめて、何を信じたらいいかわからなくなって、終末論的空気も急にただよって、バロックとかロマン派とか、進歩主義的な立場からもう振り返る必要もないというようにされていた昔のスタイルが作曲の世界でもいろいろ蘇ってきまして、乱暴に申せば、新しいスタイルの音楽というものが前衛時代と大きく変わって混乱して、いろんな時代のいろんなスタイルというものが引用されたり、思い出されたり、もう一回やり直されたりするようになって、現代音楽といっても、いつの時代の音楽だかわからなくなってくるという、そういう現象が1970年代半ば、急に起きてきたという言い方ができると思います。こうした変化は、一般にはモダニズムからポストモダニズムへの変化といわれることも多いですけれども、それと同じことを柴田南雄は、もっと具体的に、石油ショック前と石油ショック後に分けたわけです。」

http://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2016-09-10/07/69013/4756192/
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by mt_pineart | 2016-12-15 00:15 | 本の抜き書き | Comments(0)

「未確認動物UMAを科学する」ダニエル・ロクストン、ドナルド・R・プロセロ著、松浦俊輔訳より

「科学者はすべて、ピアレビューが自我をずたずたにする過酷な手順で、ときにはバイアスがかかって不公平になることもあるのを認識しなければならない。しかしまっとうな科学者は面の皮が厚く、自分の研究の長所をしっかりとわかっていて、自分の方法を改善したい、あるいはもっと良い研究方法を探したいという欲求、最善の成果が発表できるよう辛抱する意思を持っている。そのような同業者からの批判が不可欠なのは、結局、それによって最善の科学的成果だけが発表されることが保証されるからだ。」

「未確認動物が実在すると広く受け入れるのは、単に時間と資源を無駄にするというより、無知、疑似科学、反科学という一般的な文化の火に油を注ぐということになるかもしれない。科学的方法の過酷な精査、批判的思考の厳密さ、本物の証拠の要求にかけられないままに、超常的なものが受け入れ可能で科学的に信用できるとメディアによって喧伝されるほど、人々は詐欺師、グル、教祖たちのねらいにかかりやすくなる。創造主義的未確認動物学者が科学の理解を害するほど、私たちみんなの状況がますますひどくなる。
 このことは、批判的思考が乏しく、基礎的な科学リテラシーがほんどない文化では深刻な問題だ。」

「広まっている超常的思考、疑似科学的思考は、楽しくも変わったものとして軽視すべきではないし、モンスターメディアの果てしのないコンベアベルトは単なる無邪気な娯楽でもない。超常的なものの誇張はそれを調達する者にとっては金になるが、その安易な利益は、反科学的・反理性的思考を奨励するという共通の対価によって得られる。」
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by mt_pineart | 2016-11-24 13:34 | 本の抜き書き | Comments(0)

「20世紀の日本美術 同化と差異の軌跡」ミカエル・リュケン著、南明日香訳

(高橋由一について)
「色調は暗く、筆触に潤いが乏しく、顔の表情には愛嬌がない。(中略)それにしても、まさにこの稚拙さが美術評論家たちをひきつけているのではないだろうか?」

「置物を作る側も評する側もただそっくりという以上に、命の息吹のようなものが感じられることが評価の大きな基準になっていたようだ。
 幕末から明治初頭を生きる人々が見世物とみなしたもうひとつのものが、「生人形」であった。(中略)
 この種の見世物に慣れた時代の傾向が、当時「写真」と呼ばれていたものを生んだといえよう。すなわち写実にむいている分野である。絵画、写真、そこから派生したパノラマ、そして人形芝居(義太夫や人形浄瑠璃)出身のパイオニアが会われた映画などである。
 (中略)
正統的な伝統芸術や主流な文化にはならないが、ものへのこだわりを持つ感性にはかなっている。
 このような感性は自然発生的なもの(好奇心、驚き、性的興奮)に基づいているために、ある意味で至極当然ということになろう。」

「しかし実のところ大観と栖鳳は、「国華」で線引きされた後に従ったに過ぎなかった。というのも「国華」創刊号に掲載された二つの作品が、奈良の興福寺の国宝「無著菩薩立像」(運慶作)と円山応挙の絵画「鶏図」であったのは、決して偶然ではなかったという事実がある。象徴的な両作品は、日本美術の写実的な命脈をうけついでいる。」

p68まで
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by mt_pineart | 2016-11-24 13:03 | 本の抜き書き | Comments(0)