学生の頃の日本画制作 |
私が学生の頃の日本画制作で考えたり、制作したりしていたことは、団体展の宣言などで謳っていることの小さな焼き直しにすぎない。
団体展は、創立精神を失っていき、形骸化していく。
『創造美術協会(後の創画会)、1948年の宣言
「我々は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」』
「敗戦直後に生まれた日本画変革の運動として、「パンリアル美術協会」ほどわたしが注目したものはない。
「創造美術協会」(現創画会)という日本画団体の発足にあたり、個人的に入会を誘われたが、公募団体では日本画を徹底的に解体してウミを出しきれないと、三上は入会をことわったらしい。こうして1948年、京大美術史教授上野照夫を顧問として、三上が上野の了解を得て命名した「パンリアル」には、日本画・洋画という無意味な派閥区分をこえて、普遍的にリアルな世界をめざす意志がこめられたのだろう。」
針生一郎
http://hoshinogallery.com/zuroku/Z_77_1/index.html
戦後、芸術の分野は個性的にして様々な発想、技法、様式が拡散普遍化したのに伴い、国画会も創作の自由を尊重するのを第一義とした創立精神に基づき、世界的視野に立った創造的にして個性的な作品発表の場として、実に多様にして広角的な作品を抱合する内容となっている。」
京都市立芸術大学ギャラリーでの展覧会会場風景
大学院1年のとき