「人類と芸術の300万年 デズモンド・モリス アートするサル」デズモンド・モリス著、別宮貞徳監訳より |
このたぐいまれな石は今日ではマカパンスガットの小石と名づけられ、知られるかぎり世界最古のアート作品である。猿人がこしらえたという証拠はどこにもないが、住居の洞窟の中にあったのだから、大切なものと考えていたのはまちがいない。世界でいちばん古い小間物、収集品、発掘物である。持ち主は、まだ完全な人間ではない。類人猿と人間の中間の動物のグループに属するアウストラロピテクスだった。」
「太古のアートは、神話の細部や部族の歴史など知らなくても楽しめる。印や象徴は、どんなに謎めいていても、それとはかかわりなく私たちの目に訴えるものを持っている。まるで人間という種は、どんな生活環境であろうと、アートがなくては生きていけないかのようだ。」
「1万年前から現在にいたるまでのどの時代を見ても、純粋に機能だけを追求した建物はめったにない。きわめて簡素な個人用の住居でさえ、実用性の域を超えて、美的なデザインや装飾が少しはほどこされている。」
「浮き彫りは世界各地の巨石で見られ、単なる装飾にすぎないのか、それとも何かを象徴しているのか、数多くの議論が交わされてきた。渦巻きや菱形、波線、半円形などのモティーフがとりわけ気に入られていて、少なからぬ地域で抽象模様の一大勢力を形成し、人間や動物の模様を押しのけているように思われる。このことから、抽象模様は象徴的なメッセージを伝えていると考えられるが、どんなメッセージだったのかは知る由もない。」
「先史時代のアートによく見られ、一見すると抽象的な模様の持っている意味を知る重要な手がかりがある。現代のオーストラリアのアボリジニが描いた樹皮絵画である。アボリジニの画家たちは、今日まで生き延びてきた昔ながらの伝統に従って絵を描いている。こういう特殊な状況にあることから、われわれは、画家とじかに話をして、描いた模様の意味を尋ねることができる。すると、驚くべき事実が明らかになる。われわれの目にはまるっきり抽象的な模様が、実は、アボリジニにとって、象徴としてもっとも重要な意味を持っているのであるーむしろ動物や人間の絵のほうが装飾を豊かにするおまけと考えられている。(中略)大昔の巨石群や岩肌に描かれ、抽象的に見える模様には、決して先入観を持たないようにしなくてはならない。」
部族アート三つの特徴
「第三の特徴は、人間はありきたりの持ち物に何らかの装飾を加えずにいられないことー食うや食わずの極貧の生活をしているときでさえそうである。そこには、特別な思想体系も、伝えるべき文化的なメッセージも、仲間を感心させる地位の誇示もない。これぞ芸術のための芸術。単純にして明快。あるものを、機能的な必要性を超えて魅力的に、すばらしくしたいという人間の基本的な欲求を反映している。
(中略「ケニア奥地のトゥルカナ族の写真」)このような極貧のさなかにあってさえ、人はそれぞれ何かしら美的なふるまいを見せ、アートを求めずにいられないという、深く根を張った本質を、またもや明らかにするのである。」
「北方のネーデルランドでは、ブリューゲルと呼ばれる画家一族が以前よりも親しみやすい農民の暮らしの場面に注目するようになっていた。従来、農民は脇役か見物人としては描かれていたが、構図の中心的位置を占めることはなかったから、これはまさに主題の抜本的進展だった。」
「近代アートー20世紀のアートーを表すのにもっともふさわしい言葉はポストフォトグラフィックアートだろう。(中略)いまや記録する責務は従来の画家の肩から取り除かれたのである。
このような新しい自由にともなう問題は、どの道を進むべきかをアーティストに示す法則がないということである。(中略)その結果、全体として見ると、20世紀アートはスタイルと短命な運動の混沌たる集合である。」
「21世紀になって、それらのグループを振り返ってみると、小さな理論上のちがいを無視すれば、五つの大きなトレンドがあることがわかる。そのトレンドは、それぞれの仕方で伝統芸術のルールから外れている。要約すると:
幾何学的アート ー自然界からの退却
有機的アート ー自然界の歪曲
非合理的アート ー論理的世界からの退却
ポップアート ー伝統的主題への反抗
イベントアート ー伝統的技法への反抗
これら五つのトレンドに加え、従来の伝統をあきらめないアーティストがいる。
スーパーリアリストアート ーカメラとの競合、である。」
「意味深長なのは、これらのトレンドのほとんどが極端になり、ついにはそれ以上の進化が不可能になる傾向があるという点である。幾何学アートでは、ついにカンヴァスに何も描かれてないところまで行った。有機的アートは何がなんだか見分けのつかないなぐり書きになった。ポップアートではギャラリーの真ん中に廃品が積み上げられた。イベントアートは空っぽのギャラリーが出てくるにいたった。そして表現主義アートは外的世界を正確に写し取ったあまり、それ以上先へは進めなくなってしまった。
それぞれのトレンドは道の終着点に行き着き、未来はどこか別のところにある。前世紀にあまりに多くのことが試行されたため、いまや未来は個々の奇人の手にゆだねられているように思える。それは、高度に個人的な世界観をもっていて、20世紀に幅広い勝利を収めた表現の自由を求める戦いのことなど顧みずにいられるアーティストである。」
「現代のアーティストはあまりに深く実験に入れこんでいるので、一般大衆にとっては最近の作品を受け入れがたく感じることがしばしばある。21世紀の今日ではなんら論争にならないと思える近代アートの作品も、はじめてお目見えしたときには、気が触れた人間やペテン師の作品だと見られていた。新しいスタイルの近代アートがすぐに認められることはめったになく、もっとも革新的なアーティストの多くは生活にも困った。(中略)彼らは日々の暮らしの中で、実行するのがどれほど困難であろうと、探求するときめたヴィジョンを持っていた。そしてこれもまた、抑えきれない創造力の発揮を希求する人間の衝動を示している。」
ダダイズム
「常識や上品さから離れたこの運動は第一次世界大戦さなかの1916年に始まった。チューリヒ在住の一群のアーティストは、体制側が塹壕や戦いの前線にいる若者たちの無残な死を後押ししているのではないかと恐怖を抱き、基本的に反体制、反権威、反当局、反戦という思想的立場に立つことを決意した。そしてそれを達成するには、権威や正統主義にかかわることは何であれ、嘲笑し、馬鹿にし、広く攻撃することがもっとも効果的だと考えた。
この運動の強みは、重要なメッセージを持っていることにあった。ー社会が悪くなるとき、責任ある者はそのことを知らされなければならず、言いわけは許されないということだ。ただ、弱点は本質的に反対運動であることだった。悪を攻撃するのは得意でも、その代わりに何か励みになるようなものを持ち出すのはあまり得意ではない。」
レディメイド
「そうしたものを最初にアート作品として提示したのは、風変わりなドイツ人のパフォーマンス・アーティスト、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵夫人である。1913年に、夫人は道で拾った錆びたリングを、ヴィーナスを表す女性のシンボルだと主張した。そして「永遠の装身具」と名づけ、自分がアートだと言えば、アートになると言った。(中略)
偽名の「R MUTT 1917」は男爵夫人の母国語(Armut、ドイツ語で貧困、欠乏を意味する)の言葉遊びである。この作品は彼女が、会の組織委員会のメンバー、デュシャンに展覧会に出品するように渡したらしい。(中略)
のちに「泉」が有名になると、デュシャンは自分の考えだったかのように言い出し、限定数のレプリカを作って儲けるようになった。(中略)自分を擁護できないまま、彼女は現代アート史からエアブラシで吹き消されてしまい、デュシャンは彼女のとっぴな小便器「泉」に対する賛辞をすべてひとり占めにした。」
50万年から30万年前、加工された石、赤い顔料の痕跡
「タンタンのヴィーナス」
世界最古の焼成粘土、2万8000年から2万4000年前
「ドルニ・ヴィエストニッツェのヴィーナス」
3万2000年前、ホーレンシュタイン・シュターデルのライオンマン
世界最古の動物型キメラ、マンモス牙製、高さ29.6cm
「パオロッツィが1947年に作ったコラージュ『私は金持ち男のおなぐさみ』は、時にポップアートの最初の真の例証だというレッテルを張られているが、パオロッツィは常に自分の作品はシュルレアリスムだと述べていた。」wikipediaより