「シュルレアリスムと性」グザヴィエル・ゴーチエ著より

「シュルレアリストたちが、とくのその絵画作品を通じて、決定的に性を価値化しようとしたのは、そのことで、いわゆる男根神話が手つかずに保全できるからにほかならなかった。つまり、シュルレアリストたちは、おりあらば女性を鑑賞と消費の対象に還元しようとしていたのであり、そのくせ、男性ばかりからなるグループの内部で、自分が欲望の主体でなくなるようなことはけっして容認しなかった。シュルレアリスムが、流行の修辞や広告の戦術(冗談やレトリック)によって、あれほど簡単に詐取されてしまったというのも、要するにシュルレアリスムがそれ自体詐取的なものであったからだ。」

「コミュニズムの要求は、それが理想的に実現した場合、女性に男性と同一の公民権、同一の政治権力を与えるものであった。しかしながら、女性を権力に近づけるとは、ほかならぬ男性の権力に近づけることであり、それによって女性が、男性の夢、神話、幻想を採用するという意味を含んでいるのである。
 これは、黒人が黒人として搾取されているからといって、彼らを「白人化」しようとするのと明らかに同一である。しかしながら、黒人たちには固有の文化が、奴隷状態に置かれる前に彼らのものであったあの文化が、存在している。だからこそブラックパワーのパルチザンたちは、自分たちが、「黒人であること(ネグリチュード)」を真正面から振りかざそうとするのである。それでは女性たちはどうか。「女らしさ」という言い方には、男たちから授けられた「優しい自己犠牲」という印章が押されている。われわれとしては「女であること(フェミニチュード)」という新語を提唱したい。これは「黒人であること」と同じく、優越者たちの軽蔑を自ら進んで激烈に引き受けようとするものである。」

(「ナジャ」について)
「要するに、ごく普通の「一目惚れ」と呼ばれるものと、さしたる相異はない。(中略)一目惚れという言い方には、突然性、明白性、相互性など、あらゆる特徴がそろっている。ブルトンがこうした現象を魔術的とするのも、そこにそなわった非合理性を明らかにするためである。ブルトンは、われわれがある相手を愛してその他の人間を愛さないのはなぜか、その理由を述べることは自分にも不可能だという事実を強調する。われわれをつき動かす動機づけの大半が、われわれにとって未知なままだからである。」

「シュルレアリスムの作品では、多くの場合、女性が男性の欲望の受動的対象としてあらわれる。」

「しかしながら、この素晴らしい愛とは、実を言うと、公的な法であり掟でもある一夫一婦制を、もっとも厳格な形式で維持することにほかならないのだ。もちろんこの一夫一婦制は、今日まで、ほとんど女性にばかり強要されてきた。」

「ダリによれば、ブルトンは「スカトロジックな要素を前にすると、かならずためらいを見せた」らしい。(中略)しかしながら、ブルトンが倒錯趣味にどれほど恐怖を示したか、すでにわれわれは見てきたところである。(中略)そこでダリは、シュルレアリストたちの「この精神的偏狭さ」を次のように断じている。「わたしは、それが本物でなく、絵に描いた糞便にすぎぬと言って、自分を弁護しなければならなかった。まったくもって観念的なこの精神的偏狭さは、わたしに言わせれば、この時期のシュルレアリスムに特徴的な〈知性の悪癖〉であった。彼らは必要のないところにさまざまなヒエラルキーを打ち立てたがっていたのだ。」

「シュルレアリスムが躓いた二つの主要なポイント、すなわち、性的なものを破壊的に噴出させえなかったこと、および根強いその男根信仰は、たしかに相互に関連している。」

「こうしてシュルレアリスム・グループは、マルセル・デュシャンが《大ガラス》の原型に与えた形容を借りれば、あくまで「雄的」なグループなのであって、父権社会の全体と完全に和合するものであった。シュルレアリストたちは、男性社会と女性社会をそれぞれに画定してきた伝統的障壁を打破するところまでは、ついに至りえなかった。彼らは自らの肉体を欲望の対象化することを拒否した。彼らは女性を純粋な観照の対象としてしまった。」

「シュルレアリストたちはマルクスを裏切り、フロイトを理解しなかったと考えることもできる。彼らはマルクスとフロイトの名をあげ、二人の理論を支持し、その実践にかかわるものだと宣言した。結果としてシュルレアリスムは、その他もろもろの自称革命運動と同じく、マルクスとフロイトをブルジョワ文化に導入することになった。この二つの思想を馴致することに貢献したのである。そのことでシュルレアリスム自体が、ブルジョワ文化によって飼い慣らされてしまったのも、さして驚くにはあたらない。精神分析とマルクス主義のこうした去勢化は、せいぜいのところ、ブルジョワジーのための玩具を作り出すことにしかならなかったのである。」

「彼(アルトー)は、シュルレアリスムたちの観念的悪癖を喝破して言うのだ、「これら共産主義革命のアミエルたちよ。彼らにとって、革命の理念はついに理念でしかないであろう。理念は老い果て、ついには実効性の影すら獲得せぬままに終わる」
 そこにシュルレアリスムの失敗がある。「なぜならシュルレアリスムが現実のものではないのだとしたら、それが一体なんの役に立ちましょうか」かつてブルトンが街行く人びとを見ながら苦々しく発したあの一句を、そのままシュルレアリストたちにあてはめることができるだろう。「まさか、この連中がいまから革命を起こそうとしているとは思えないのだった」。」
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by mt_pineart | 2012-12-28 22:09 | 本の抜き書き | Comments(0)